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マイク・ピアッツァ : ウィキペディア日本語版
マイク・ピアッツァ

マイケル・ジョセフ・ピアッツァ(Michael Joseph Piazza、1968年9月4日 - )は、アメリカ合衆国の元プロ野球選手。ポジションは捕手内野手イタリア系アメリカ人である。
日本でも名が知られている選手である。野茂英雄が渡米した際にはロサンゼルス・ドジャースの正捕手として、またピアッツアがやはり日本でもお馴染みのボビー・バレンタイン監督(当時)が率いるニューヨーク・メッツに移籍した際と、新庄剛志がメッツに入団してピアッツアとチームメイトになった(2001年の移籍時と2003年の復帰時)際にも、日本で新聞やニュースで報道されていた。
Piazzaの発音はだが、日本語表記は「ピアッツァ」のほか、マスコミによっては「ピアザ」「ピアッザ」「ピアーザ」と表記されることもある。
== 経歴 ==

=== プロ入りまで ===
1968年9月4日に生まれた。父親の祖父はイタリアからの移民で、父は不動産業や中古車販売で家族を養っていたが、一発を当てて億万長者となった〔山下一徳「スーパースター列伝7 マイク・ピアッツア」『月刊メジャー・リーグ』2000年12月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-12、37頁。〕。また、父はトミー・ラソーダと親友で、マイクは、1977年のロサンゼルス・ドジャースがリーグ優勝決定の試合後、シャンパンファイトの輪に入れてもらうことができた〔山下一徳、38頁。〕。
両親は広大な土地を購入し、打撃練習場を作った〔。その打撃練習場の打撃マシンはプロが使う高性能なもので、マイクはこのマシンで練習をした〔。マイクは練習をしたくてたまらず、兄弟からは「ヤツはまるで打撃練習場に住んでいるかのようだ。朝昼晩、いつもあそこにいる」と半ば驚き、半ば呆れ果てていた〔。
一番好きなポジションは投手で一番嫌いなポジションは捕手だった〔。リトルリーグ時代は監督から足が遅いことを理由に捕手を薦められるも、捕手は嫌なため、カーブを習得し投手に転向した〔。h進学したフェニックスビル高校では捕手が不足しており、肩が強いことを理由に監督からは捕手をやってみないかと誘われた際は、投手としての限界を自覚していたが、やはり捕手は好きになれず、打撃に集中したいため一塁手をやりたいと、翌日監督に伝えた〔。
高校では打率6割を記録するも無名校のためどこからもドラフトで指名されず、マイアミ大学へ進学するも出場機会に恵まれず、試合に出場したいため、マイアミ・デード大学へ転校〔〔山下一徳、39頁。〕。スカウトからの誘いがなかったが、トミー・ラソーダはマイクがかつてバットボーイの空いた時間にドジャースの投手相手にした打撃が忘れることができなかった〔。そして1988年のドラフトでドジャースから62巡目(この年に1433人指名され1,389番目)に指名された。球団から電話がかかってきたのは指名から2か月後で、契約金は15,000ドル、捕手として入団〔。ラソーダは間もなくドジャース史上最も攻撃的捕手の一人になるだろうと評した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マイク・ピアッツァ」の詳細全文を読む



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