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マイケル・クリストファー・ムスターカス(Michael Christopher Moustakas, 1988年9月11日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身のプロ野球選手(三塁手)。右投左打。MLBのカンザスシティ・ロイヤルズに所属。代理人はスコット・ボラス。 南海ホークスでプレーし、引退後は千葉ロッテマリーンズの打撃コーチを務めたトム・ロブソンは叔父にあたる。 == 経歴 == ロサンゼルス市内のチャッツワース高校時代には遊撃手として通算54本塁打の州記録を樹立する一方で、アメリカンフットボールのクォーターバックとしても活躍〔Moustakas Football Stats - Chatsworth 04-05 . MaxPreps(英語). 2011年6月12日閲覧〕 。のMLBドラフト1巡目(全体2位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名を受けたが、代理人のスコット・ボラスが高額の契約金を要求したために交渉は難航。ロイヤルズとの交渉が決裂した場合は南カリフォルニア大学への進学を予定していたが、契約期限である8月15日午後11時59分(東部標準時)の11分前に契約金400万ドルで合意した。これは全体1位のデビッド・プライス(560万ドル)、全体5位のマット・ウィータース(600万ドル)に比べると低額であったが、ムスターカス自身がボラスの反対を押し切る形で決断した。 はA級バーリントン・ビーズで22本塁打を放ち、16年ぶりに10代でのミッドウェストリーグ本塁打王となった。 の開幕前には「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングにおいて、球団内では1位、マイナー全体では13位にランクインされた〔]Top 100 Prospects: No. 1-20 , BaseballAmerica.com(英語), 2011年6月12日閲覧〕。しかし、同年は打撃不振で出塁率が3割に満たず、評価を下げた。 は本来の打撃が復活し、AA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズで5月下旬まで打撃三冠を維持した。シーズン途中にAAA級オマハ・ロイヤルズに昇格し、合計36本塁打、124打点でマイナーリーグ全体での二冠王となった〔Kappel, Nick(2011-01-10). 2011 Fantasy Baseball Prospect Report: Kansas City Royals' Mike Moustakas . Bleacher Report(英語). 2011年6月12日閲覧〕。 の開幕は前年に引き続いてAAA級オマハで迎えたが、6月10日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャーデビュー。その翌日にジョエル・ピネイロからメジャー初本塁打を放った〔Kaegel, Dick(2011-06-11). Moustakas belts first Major League homer . royals.com(英語). 2011年6月12日閲覧〕。その後はメジャーの壁にぶつかり、8月の半ばまで打率が1割台に低迷していたが、9月には約3ヵ月ぶりの本塁打を放つなど打率.352、4本塁打と結果を出した。 は前半戦で15本塁打を放ったが、後半戦は失速した。三塁守備では守備防御点(DRS)が+14でリーグ2位、UZRは+16.8でリーグトップだった。フィールディング・バイブル・アワードの三塁手部門でエイドリアン・ベルトレに次ぐ2位に入り、ゴールドグラブ賞でも最終候補に残った。 2月21日にロイヤルズと1年契約に合意した。この年は、打撃が更に混迷を極め、マイナー降格も経験した。打率はメジャーデビュー以来毎年低下し続け、.212まで下がった。ホームランを15本放ち、三振を前年から減らした点は改善ポイントとなったが、シーズン通じて低打率だった。守備面でも自己ワーストの19失策を記録し、精彩を欠いた。 、オールスターゲームの投票では三塁手部門の2位で選出はされなかったが、34人目の選手を決める最終投票で選出された。オールスター後はやや調子を落としたが、それでも打率.284・22本塁打・82打点・OPS0.817という打撃成績をマークし、これら4部門全てで自己記録を更新した。また、サードの守備でも安定感を取り戻し、12失策・守備率.969・DRS + 4という成績を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイク・ムスターカス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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