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マイケル・チャン : ウィキペディア日本語版
マイケル・チャン

マイケル・ターペイ・チャンMichael Te-Pei Chang, 中国語名 張德培, 1972年2月22日 - )は、アメリカニュージャージー州ホーボーケン出身の元男子プロテニス選手。台湾系アメリカ人。右利き。バックハンド・ストロークは両手打ち。シングルス自己最高ランキングは2位。グランドスラム優勝1回、準優勝3回。ATPマスターズシリーズ優勝7回。テニス・マスターズ・カップに7度出場し1995年に準優勝を果たした。
男子シングルスグランドスラム最年少優勝記録保持者(17歳3ヶ月)。アジアにルーツを持つ男子選手として唯一のグランドスラム優勝者。
台湾系の選手で、男子テニス選手としては身長175センチの小柄な身体であるが、世界でも屈指のストロークプレーヤーであった。驚異的なフットワークと、発想豊かなゲームメイキング力を持ち味とした。ATPツアーでシングルス34勝を挙げた。
現在、錦織圭のコーチを務めている。
==選手経歴==
1972年ニュージャージー州ホーボーケンに生まれる。両親はともに台湾からの移民(父のジョーは1966年、母のベティは1959年にそれぞれ台湾から渡米)でアメリカで出会い結婚した。マイケルという名前は母親のベティが中華民国の外交官(駐カンボジア中華民国大使などを歴任)であった父(マイケル・チャンにとっては祖父)の名前から取った。その後、一家はミネソタ州セントポールに転居。チャンがテニスを始めたのはこの時である。その後、同じくテニス選手であった兄のカールとともにより恵まれたテニス環境を求めてカリフォルニア州のプラセンティアやエンシニタスに移った。
1988年にプロ入り。第15シードで出場した1989年全仏オープンでEduardo Masso、ピート・サンプラス、Francisco Roigを倒し、4回戦では世界ランキング1位で3度の全仏優勝経験のあるイワン・レンドルを4-6,4-6,6-3,6-3,6-3で倒した。続く準々決勝でロナルド・アジェノール、アンドレイ・チェスノコフに勝利し決勝進出。決勝戦で第3シードでグランドスラム優勝3回のステファン・エドベリと対戦し、6-1, 3-6, 4-6, 6-4, 6-2 のフルセットを制して4大大会初優勝。「17歳3ヶ月」は男子テニス4大大会を通しての最年少優勝記録である。(参考:ウィンブルドン1985年ボリス・ベッカーが「17歳7ヶ月」、全米オープン1990年ピート・サンプラスが「19歳28日」の男子シングルス最年少優勝記録を樹立した。全豪オープンの男子最年少優勝者は、1953年に「18歳2ヶ月」で初優勝したケン・ローズウォールである。)なお、この時四回戦のイワン・レンドル戦で見せたアンダーサーブは今でも語り草になっている。
チャンとエドベリは、1992年全米オープン準決勝で「5時間26分」のマラソン・マッチを繰り広げたこともある。
1995年全仏オープンでチャンは6年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、オーストリアトーマス・ムスターに 5-7, 2-6, 4-6 のストレートで完敗してしまう。
1996年には2度の4大大会準優勝があり、全豪オープン決勝ではボリス・ベッカーに、全米オープン決勝ではピート・サンプラスに敗れた。
トップスピンストロークを中心とするチャンのプレー・スタイルは、クレーコート(赤土)とハードコートでは安定した強さを発揮したが、芝生のウィンブルドンは苦手で、自己最高成績は1994年のベスト8である。
日本でプレーした回数も多く、1993年セーラムオープンで日本で初めての優勝を飾り、1995年10月には「セイコー・スーパー・テニス」で最後の大会のシングルス優勝者になっている。その決勝戦では、当時18歳のマーク・フィリプーシスの“スカッド・サーブ”を攻略した。1989年には日清食品カップヌードル China」のCMキャラクターに起用された。
チャンは2003年全米オープンを最後に、31歳で現役を引退した。引退後は、現役時代の1999年に設立した「チャン・ファミリー財団」を通じ、キリスト教に基づく慈善事業を展開している。特にバスケットボール・バレーボール・テニスなどの「クリスチャン・スポーツリーグ」をワシントン州シアトルカリフォルニア州オレンジ郡で展開している。2008年7月12日に国際テニス殿堂入りを果たした。
2008年10月に12歳年下の中国系アメリカ人テニス選手と結婚。2010年に第1子の長女が誕生している。
2013年12月、錦織圭のコーチ陣に加入と発表〔2013年12月11日マネジメント会社発表。錦織のコーチにマイケル・チャン氏 精神面を指導 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マイケル・チャン」の詳細全文を読む



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