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マイケル・ナイマン : ウィキペディア日本語版
マイケル・ナイマン

マイケル・ローレンス・ナイマン(''Michael Laurence Nyman'', 1944年3月23日 -)は、イギリスミニマル・ミュージック作曲家ピアニストオペラ台本作家、音楽学者、音楽評論家でもある。
== 略歴 ==

=== 1944年~ ===
1944年にロンドンで生まれたナイマンは、英国王立音楽院キングス・カレッジ・ロンドンで作曲法、音楽史、イギリスのバロック音楽を中心に学ぶ。在学中にルーマニア民俗音楽に興味を持ち、数度現地へ赴いている。
卒業後、カールハインツ・シュトックハウゼンピエール・ブーレーズなどが主流の当時の潮流になじめず、1976年まで目立つ作曲活動はしていない。その間、ナイマンは音楽評論家として活動し、音楽雑誌に頻繁に記事を書いており、ビートルズなどもその対象としていた。コーネリアス・カーデューの作品''"The Great Digest"''を評す際、当時は抽象絵画などを表現する時に用いていた単語「ミニマリズム」を文中で用い、音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだのもこの頃(1968年)である。
1974年には、実験音楽についての研究論文『実験音楽――ケージとその後』''Experimental Music: Cage and Beyond''を著し、ジョン・ケージの音楽がクラシック音楽の作曲家、パフォーマンス・アーティストたちに与える影響について考察し、のちの現代音楽評論に多大な影響を与えることとなった。
1976年に、ナイマンに転機が訪れる。イタリア劇作家カルロ・ゴルドーニの作品、"''Il Campiello''"の上演で使われる、18世紀のヴェネツィア音楽のアレンジと演奏を委託されたのだ。ナイマンはレベックショーム等の古楽器と、ドラムサックスなどの近代的な楽器を取り入れた楽団を編成し、Campiello Bandと名づけた。終演後も楽団の維持を望んだナイマンは、バンド用の作品を作曲し始める。その間、ピーター・グリーナウェイ監督の映画『1-100』のための音楽を作曲したが、実際に映画で曲が使われることはなく、作品はデビューアルバム『ディケイ・ミュージック』(''Decay Music'')として、ブライアン・イーノのObscure Recordsからリリースされた。バンドはのちにマイケル・ナイマン・バンドと改名し、ステージではアンプを使うようになり、弦楽のカルテット、テナー、アルト、ソプラノの3つのサックス、バストロンボーンエレクトリックベースドラムスピアノの構成へ移行していった。
また、1980年にはキング・クリムゾンロバート・フリップとともに、デヴィッド・カニンガム率いるニュー・ウェイヴ・バンド、フライング・リザーズのアルバムにゲスト参加し、音楽活動の幅を広げていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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