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マイスタジオ : ウィキペディア日本語版
マイスタジオ
マイスタジオMy Studio)は、日本テレビの本社社屋にあるオープンスタジオである。通称は『マイスタ』。
東京都千代田区二番町麹町)の元々は旧本社南本館1階にあったが、同港区東新橋汐留)の本社ビル(日本テレビタワー)移転後も、2代目として「マイスタジオ」の名称は使用されている。
== 初代 ==

1979年に『ズームイン!!朝!』(3月5日開始)の放送を開始するにあたり、生中継を多用することを特徴とした番組のため、「外の様子が見えるスタジオで番組を放送したい」というディレクターの齋藤太朗の意見がきっかけでスタジオ建設に至り、元々1階の郵便集配室と日本テレビ25年史の展示室だったスペースをスタジオに改装した。
『ズームイン!!朝!』第1回放送時のオープニングで、当時のキャスター徳光和夫は視聴者に向けて「私のスタジオ、そしてあなたのためのスタジオです。」とマイスタを紹介している。
なお、改築にかかった費用は約4億円。この経費は『ズームイン』が企業会計の計算上すべてを負担する形式をとり減価償却に4年費やした。
特徴はスタジオと副調整室との間に壁がない「オープンスタイル」で、通常キャスターが窓を背に定位置に立つと、副調整室のモニター群が一望でき、入ってくる全中継回線・VTRなど映像の状況をキャスター自身が把握することが可能で、国内・海外を問わず生中継を多用した『ズームイン』ではその威力を大いに発揮した。
外部からの中継回線を多く取り入れ、捌くことができるという特徴もあったが、報道用のスタジオ以外ではこのような特徴を持つスタジオは存在しない(汎用スタジオでは数多くの中継を取り入れることは皆無に等しいため)ことから、日本テレビでは『24時間テレビ 愛は地球を救う』『ゆく年くる年』をはじめとして報道系以外で外部から多くの中継を入れる場合、このマイスタを「中継受け専用サブ」として使用することも多かった。なお、この機能は汐留の2代目マイスタにも踏襲されている。
ちなみに、スタジオと副調整室との間に壁のないスタジオは、テレビ局のスタジオとしてはこのマイスタが日本初である。また当時の朝番組はスタッフの人数が非常に少なかったため、当時まだテレビ業界では普及率の低かったカセット式VTRU規格BETACAMDigital BETACAM)を多用したほか、タイムキーパーの指示をモニター経由でキャスターに直接伝えることによりフロアマネージャーを廃するなど、省力化のための様々な工夫が施されている。
スタジオの扉を開くと玄関前の広場、その隣が日本テレビの構内駐車場であるため、そこで番組のオープニングやエンディングを行っていた。玄関前・駐車場からは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の罰ゲームで何度か早朝の生放送を行ったり、『ズームイン!!サタデー』でクロマキー技術を多用したセット、『NNNニュースプラス1』の天気予報が有名。スタジオ前の日本テレビ通り地下には営団地下鉄(現:東京地下鉄有楽町線が通っているためわずかながら電車の通過振動を感じることがあった。
また、設置当初は夕方の生放送で福留功男(当時日本テレビアナウンサー)が司会の『タウン5』、バラエティ番組『爆笑!!マイスタ』、三笑亭夢之助出演の『マイスタ芸能ワイド!!』などが生放送されたほか、『日本テレビハイライト』などの宣伝番組収録にも使用された。また、系列局の中京テレビの『夢のドラゴンズ生放送』が試合当日の後楽園球場での巨人中日戦の試合後に生放送スタジオとして使用していた。
後にはドラマ『ザ・ワイドショー』の劇中架空ワイドショー『LAST WIDE』収録(当初はこのパートのみ生放送)など他番組にも使用、『スーパーテレビ情報最前線』など本来収録の番組が急遽生放送を行う際にもマイスタが多く使用されたが、異色なところとしては『ザ・トップテン』が本来使用していた渋谷公会堂を公会堂側の都合で使用できなくなった際、急遽マイスタをメインスタジオとして使用したというエピソードも残されている。
副調整室を背景にして放送すればスタジオセットを作らずに済むなどのメリットもあって、機動力のあるスタジオであった。
また、マイスタジオの隣にはテナントとして飲食店が入居していたが、2000年頃の契約満了を持って退去させた上で、その空きスペースもマイスタジオのフロアとして拡張した〔同時期、同じく同所南本館に入居していた他のテナントも退去させており、退去後のスペースに日本テレビのグッズショップである「なんだろうショップ」などが開店している〕。これによりスタジオフロア部分に余裕が生まれたことで、一部番組ではスタジオ内に簡便な美術セットを持ち込んで放送することも増えた。
2004年2月をもって本社機能が麹町から汐留に移転したが、技術的な事情から放送機能(主調整室)が麹町に留まったことで、マイスタジオが麹町(初代)と汐留(2代目)の2か所に存在する期間があった。その後2005年に主調整室(マスター)をはじめ放送機能が完全に汐留に移行したことを契機として、旧本社ビル(麹町分室)の初代マイスタは廃止され、跡地には同年4月に日本テレビ麹町診療所が移転開業した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マイスタジオ」の詳細全文を読む



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