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マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942年1月5日 - )は、イタリアのミラノ出身のピアニスト。 父親は建築家であり、また母親(彫刻家ファウスト・メロッティの妹)は声楽もこなすピアニストである。5歳からカルロ・ロナーティに、ロナーティの死後はにピアノを学ぶ。現役では最も高い評価を受けているピアニストのうちのひとりである。 == 略歴 == 1957年、15歳でジュネーブ国際コンクール第2位(マルタ・アルゲリッチは女性部門で1位)。1958年の同コンクールで1位なしの第2位。1959年のポッツォーリ・コンクールで優勝。 1960年、18歳で第6回ショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝。審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べ、一躍国際的な名声を勝ち取る。 その後10年近く、表だった演奏活動から遠ざかる(本人はこれを否定していて、様々なコンサート、リサイタルに出演した)〔青澤唯夫「ショパンを弾く」 P248、春秋社、2009年〕。その理由として、健康面や腕の故障など諸説あるが、まだ若く、さらに勉強が必要であることをポリーニ自身が自覚しており、直ちに多忙な演奏生活に入ることを避けたというのが有力である。この間、ミラノ大学で物理学を学んだり、イタリアの名ピアニストアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事するなど、研鑽を重ねている。 1968年に演奏活動に復帰し、1971年よりドイツ・グラモフォンから録音作品を発売開始。以後、ヒット作を連発する。1974年、初来日。 1995年、ザルツブルク音楽祭で自身の企画による連続演奏会「ポリーニ・プロジェクト」を開始。 2002年、10月と11月に東京でも同プロジェクトとして9夜にわたる連続演奏会を開き、大きな注目を集めた。2005年、11月に同プロジェクト、東京での第2弾。ただし3夜のみで小規模。ポリーニ本人の演奏は1夜のみ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マウリツィオ・ポリーニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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