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マオド・ド・ブーア=ブキッキオ(Maud de Boer-Buquicchio, 1944年12月28日 - )は、オランダの法律家、国連人権理事会から「児童の人身売買・児童売春・児童ポルノ」に関する特別報告者に任命されている人物〔。2002年から2012年まで、欧州評議会の事務次長を務めた〔。 == 来歴 == オランダ南部のヘールレンにある町フンスブルク(Hoensbroek)に生まれる。ライデン大学でフランス語とフランス文学を学び、のちに法律も学ぶ〔。国際関係と労働法を専門として1969年に学位を取得、テーマは欧州連合法下における男女平等についての理論であった〔。 1969年に欧州評議会入りし、欧州人権委員会の法律事務をはじめとして、評議会議長秘書室、欧州人権裁判所の議員事務官など欧州評議会組織の要職を歴任した。2002年に事務次長に選出され、2007年にも再選出された〔。2012年に退任〔、事務次長の後任はガブリエラ・バッタイーニ=ドラゴーニ。事務次長職在職中の業績としては、「性的搾取および性的虐待からの児童の保護に関する欧州評議会条約」の採択にあたり陣頭指揮を執ったとされる〔。 マオド・ド・ブーア=ブキッキオはまた、行方不明児童及び搾取被害児童問題対策国際センター(International Centre for Missing & Exploited Children (ICMEC))の理事の一人でもある。同センターは、子どもが安全な子ども時代を過ごす権利を享受できるように、児童性的虐待(性搾取)、児童ポルノグラフィ、児童誘拐と戦う全世界規模の非営利団体であるとしている。 2013年には「失踪・被搾取の児童に関する欧州連合会(European Federation for Missing and Exploited Children)」の代表理事に選出され〔、前欧州裁判所弁務官からその地位を引き継いだ。 2014年6月に児童売買,児童買春及び児童ポルノに関する国連特別報告者に就任〔〔。2015年5月12日から18日まで、7日間の日程でアルメニアを視察した。エレバン、ヴァナゾル、ギュムリを回り、各地で中央政府高官、地元警察、法曹関係者、児童保護シェルターのNGOなど多様なレベルの人員と面会したと最終日のカンファレンスの配布資料には記載されている〔。 2015年10月19日から26日にかけて訪日し、児童の売買及び性的搾取の状況についての視察を行った〔。視察先は仁藤夢乃、伊藤和子 (弁護士)、セーファーインターネット協会など。26日の記者会見の席で、日本の女子学生の13%が『援助交際(enjo kosai)』を行っていると発言したが、後日外務省の抗議を受け、「数値を裏付けるデータはなく、誤解を招くものだった。今後この数値を使用するつもりはない」とする書簡を日本政府に送り、事実上発言を撤回した〔児童売買,児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者に対する申し入れ | 外務省 〕〔Demarche to the Special Rapporteur on the sale of children, child prostitution and child pornography | Ministry of Foreign Affairs of Japan 〕〔児童売買,児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者からの回答 | 外務省 〕〔Reply from the Special Rapporteur on the sale of children, child prostitution and child pornography | Ministry of Foreign Affairs of Japan 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マオド・ド・ブーア=ブキッキオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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