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マカニビスティー : ウィキペディア日本語版
マカニビスティー

マカニビスティー日本産の競走馬。馬名の由来はハワイ語で風を意味する「マカニ」+冠名
== 経歴 ==

デビュー戦は芝で9着に終わったが、ダートに替わって強い勝ち方で2連勝した。2010年2月14日のヒヤシンスステークスではスタートで出遅れ、4コーナーで大外にふくれるロスもあり、5着に敗れる。その後芝のアーリントンカップでは10着と大敗した。2010年3月3日付けで中央の登録を抹消。大井の松浦備厩舎に転厩した。(大井への転厩および中央への再転厩にまつわる出来事は後述)
転厩初戦を8馬身差で圧勝し、単勝1.3倍の圧倒的1番人気で羽田盃に臨む。レースでは向こう正面から3コーナーにかけて後方から差を詰め、直線に入った時点で先頭に立つ。しかし、残り100メートルで外から伸びてきたシーズザゴールドにかわされ、差し返そうとするもハナ差で競り負ける。騎乗した戸崎圭太は仕掛けが早かったことを敗因に挙げている。続く東京ダービーでは前走の負けて強しの内容から再び1番人気。レースでは中団後方から直線で一気に他馬を差し切り、1馬身1/4差で優勝した。6月18日付けで地方の登録を抹消、7月1日付けで中央に再登録し、矢作厩舎に復帰した。中央再登録緒戦で古馬との初対決となった7月11日プロキオンステークスでは、久々の1400メートルと日本レコードとなった早い流れに対応できず、最後尾から終始追いどおしの競馬で11着と惨敗した。その後はレパードステークスに向けて調整されていたが、夏負けで放牧に出された。放牧を終えて、12月5日ジャパンカップダートも追走に手一杯で、終始後方のまま15着と大敗した。その後12月23日名古屋グランプリでは後方で脚を溜め、直線で外から猛追したが2着に敗れた。
2011年2月11日佐賀記念では5番手追走から2周目の向正面に入る際に仕掛けて行ったが直線で伸びきれず5着、その後芝の阪神大賞典では7着に敗れた。天皇賞(春)では17番人気だったが中団から追い込んで4着。これをきっかけに芝長距離路線も歩むこととなる。目黒記念では好位から脚を伸ばしたが5着となった。みなみ北海道ステークスでは中団追走も直線で伸びを欠き7着、札幌記念では中団追走も直線で失速し11着に敗れた。その後11月12日のアンドロメダステークスではユニバーサルバンクの8着。12月4日ジャパンカップダートでは11着と惨敗した。
2012年1月5日万葉ステークスでは外から脚を伸ばして2着、日経新春杯では後方から追い込んで3着となった。続く仁川ステークスでは中団後方から追い込んだが4着。3月9日ドバイゴールドカップに選出。
ドバイゴールドカップではスタート直後にハナを奪うも1周目の直線でフォックスハントが落馬、故障中止。これにより、決勝線での進路確保が困難なため、向正面で主催者よりレース中断の指示が下り、各馬競走を止めた。ドバイワールドカップ後にレースを再開し1回目と同じくハナを奪い淡々とした流れを作るも3コーナー付近でついて行けず、そのままジワジワと後退し脱落、10着と惨敗した。
その後も勝ち星に恵まれなかったが、2013年6月23日函館競馬第11競走・大沼ステークスで、東京ダービー以来約3年ぶりに勝利をあげた。続くマリーンステークス6着を最後に、9月6日付けでJRAの競走馬登録を抹消された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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