|
『太陽にほえろ!』(たいようにほえろ)は、東宝テレビ部が制作した刑事ドラマシリーズ。 『太陽にほえろ!』(PART1)は1972年(昭和47年)7月21日から1986年(昭和61年)11月14日まで、全718回。日本テレビ系列で金曜日20時から1時間枠で放送された。 続いて続編にあたる『太陽にほえろ!PART2』が1986年(昭和61年)11月28日から〔PART2放送開始予定だった日は、伊豆大島三原山噴火関連の報道特別番組のため1週延期されてスタートした。〕1987年(昭和62年)2月20日まで、全12回放送。この項ではPART2についてもあわせて述べる。 == 概要 == 愛称の“ボス”こと藤堂係長(石原裕次郎)を中心に、ニックネームで呼び合う警視庁七曲警察署(東京都新宿区)刑事課(刑事第一課)捜査第一係(別称・強行犯捜査係)の刑事たちの活躍を描いたテレビドラマ。現在では日本の刑事ドラマの代表格とも称される作品である。 それまでの刑事ドラマは事件と犯人が中心で描かれており、レギュラーの刑事達(主に本庁の捜査一課所属)は狂言回しに過ぎなかった。しかし本作は、所轄署の捜査一係に勤務する刑事の一人一人にフルネームと性格設定を与え、「青春アクションドラマ」と銘打って刑事を主役にした物語を展開した。「走る」刑事ドラマ(大体の犯人が走って逃げるので刑事も走って捕まえることが多いため)としても有名で、勝野洋(出演期間は2年)と宮内淳(出演期間は約4年)のコンビが合わせて走った延距離は地球半周分とも言われる。 基本的には、事件発生から解決に至るまでは1話完結、一係メンバーと、周辺の登場人物のエピソード等に関しては、時系列で描くというスタイル。 サツ、デカ、ホシ、タレコミといった警察用語を世に広めた。 当初の構想では、主人公・マカロニ刑事こと早見淳の成長物語として展開していく予定であった。しかし、早見役の萩原健一が降板を熱望し「劇中で死にたい」という萩原本人の申し出を製作側が受け入れ、早見は通り魔強盗に刺し殺されるという形で姿を消す。だが主役級の降板という事態にもかかわらず、番組を終了させることはなく、無名の松田優作を萩原の後任に起用し、さらなる成功を収めた。これに端を発し、新人や無名俳優を主演の新米刑事として出演させてその人間的に成長する姿を描き、やがて彼らが「殉職」〔死亡に至る状況によっては殉職とは言いがたいものも散見されるが、便宜上全て「殉職」と言う表記で統一する。なお、劇中でも石原良純演じる水木刑事(マイコン)は島津刑事(デューク)赴任時のエピソードにて「殉職率ナンバーワンの七曲署」と発言したことがある。〕することで番組を卒業していくというパターンが定着。勝野洋、渡辺徹などといったスターが生み出された。やがて、番組の路線が安定してくると沖雅也、三田村邦彦、世良公則など芸能界で実績のある俳優が起用されるケースも出てきた。また露口茂、竜雷太、小野寺昭、下川辰平らベテランおよび中堅のメンバーにも主演作が用意されるようになり、新米刑事の青春物語から群像劇としての魅力を加えていった。 本作はレギュラー出演者のスケジュール調整には大変注意が払われていた。実際に警察官は「非番」という形で交代制で休みを取る〔本来の「非番」は緊急呼集に備えての待機で、自宅もしくは寮にいなければならない。自由に外出してもよい完全な休暇ではない。〕のでこれに準じて、番組1年目は萩原(40話、42話、44話)・小野寺(5話、10話、11話、14話、36話、37話、45話)・下川(10話、18話、31話 - 33話、36話、48話、49話)の欠場があった。2年目以降はごく一部の例外(81年の石原裕次郎・沖雅也の病欠)を除き、一係メンバーは毎回必ず顔を揃えていた(岡田晋吉プロデューサーによれば「関根恵子はセミレギュラー扱いだった」)。石原は86年にも再入院し、任務代行者として渡哲也が配された。のちに石原から「健康な状態での復帰が望めない」と降板の申し出があった為、番組の打ち切りが確定。石原は最終回に登場し、番組のテーマともいえる「生命の尊さ」を訴え、シリーズ通しての主役として物語をしめくくった。 PART2では係長が篁朝子(奈良岡朋子)に変わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太陽にほえろ!」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|