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マキシム・ウェイガン : ウィキペディア日本語版
マキシム・ウェイガン

マキシム・ウェイガン(Maxime Weygand, 1867年1月21日 - 1965年1月28日)はフランス軍人
== 経歴 ==
ベルギーブリュッセルに生まれ、外国籍のままサン・シール陸軍士官学校に入学し、1888年、フランスに帰化した。ベルギー国王レオポルド2世の隠し子という噂があるが、本人はノーコメントを貫いた。第一次世界大戦フェルディナン・フォッシュ元帥参謀長として偉功をたてた。
1920年、ロシア赤軍の反攻にさらされたポーランド軍事顧問として派遣され、同国の危機を救った(ポーランド・ソビエト戦争)。1923年にシリア高等弁務官、1930年には陸軍参謀総長と要職を歴任し、1935年に退役したが、1939年の第二次世界大戦勃発とともに近東軍総司令官に復帰。1940年5月、敗色の濃い中で連合軍総司令官に就任したが、ドイツとの休戦を主張し、同年フィリップ・ペタン対独協力政府の国防相、ついで1941年7月16日にフランス軍北アフリカ駐留軍総司令官兼アルジェリア総督となった。シャルル・ド・ゴールにもドイツにも協力を拒んだため、1942年からオーストリアのに抑留され、1945年のイッター城の戦いを経てアメリカ軍に救助された。戦後は対独協力の容疑をかけられたが、1948年に無罪となった。
1931年以来のアカデミー・フランセーズ会員で「フランス陸軍史」「回顧録」などの著書がある。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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