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マキシモ・ブランコ(Maximo Blanco、男性、1983年10月16日 - )は、ベネズエラのレスリング選手、総合格闘家。カラカス出身。仙台育英高校、日本大学卒業。吉田道場所属。元ライト級キング・オブ・パンクラシスト。 == 来歴 == 14歳からレスリングを始める。それ以前にはテコンドーの経験がある。15歳のときに仙台育英高校に留学した。 高校時代は国体、インターハイで各1勝するにとどまったが、日本大学に進学すると、才能が開花し数々の実績をあげた。 2006年2月、PRIDEと契約したことが発表され、早ければ年内にもデビューする予定であった〔学生二冠王マキシモ・ブランコ(日大=ベネズエラ)が「PRIDE」参戦へ 日本レスリング協会公式サイト 2006年2月1日〕がPRIDEの消滅もあり実現しなかった。 2008年7月、レスリングでのロンドンオリンピック出場も視野に入れつつ、戦極と戦極育成選手として契約。 2008年8月27日、パンクラスで八島勇気と対戦。バスターを放った際、偶然のバッティングにより八島が左瞼をカットしてしまい試合はノーコンテストとなった〔【パンクラス】近藤有己がKO勝ちで戦極参戦をアピール!マグダレノ、齋藤、廣瀬がネオブラ優勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年8月27日〕。 2008年10月1日、ネオブラッド・トーナメント ライト級準優勝のABと対戦し、開始22秒でバスターによるKO勝ちを収めた。 2008年12月7日、パンクラスで花澤大介13と対戦し、肩固めで一本負け。花澤はブランコのパンチを「以前MFCで闘ったエディ・アルバレスのような重さだった」と評した〔【パンクラス】三大王座戦で大石、川原、鳥生のパンクラス勢が全滅…ダブル井上、和田が新王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年12月8日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マキシモ・ブランコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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