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マクシム・バグダノビッチ : ウィキペディア日本語版
マクシム・バグダノビッチ
マクシム・バグダノビッチ(英語: Maksim Bahdanovich、ベラルーシ語: Максім Адамавіч Багдановіч、1891年11月27日(ユリウス暦 12月9日) – 1917年5月12日)は、ベラルーシの詩人、作家、文芸学者、翻訳家。

== 生涯 ==

1891年ミンスクに住む科学者の一家に生まれた。1892年フロドナに引越すことに伴って結核で母親が死亡。
1896年 父親のアダム・バグダノビッチと共にロシア帝国ニジニ・ノヴゴロド市に引越し、そこでベラルーシ語で詩を書き始めた。
1907年 デビュー小説「ミュジーカ」("Музыка")が「ナーシャ・ニーヴァ」("Наша Нiва")というベラルーシ語の週刊新聞で初めて公開された。
1908年 ヤロスラヴリに引っ越した。1911年にギムナジウムを卒業し、ヤロスラヴリ学院法学部に入学した。そこで影響力のあるベラルーシ人作家と知り合う。学校を通いながら新聞社で勤めていて、多数の作品がベラルーシにもロシアにも出版され続けていた。1914年初頭には初めての詩集「ヴャノック」("Вянок")がヴィリニュスで出版された。
1917年に結核の治療のためクリミアに転居したが、病状の悪化し同年5月12日にヤルタで亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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