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マク玖[まく きゅう]
玖(まく きゅう, マック・クウ, , 1655年〜1736年)は、18世紀初頭のカンボジアとベトナム(阮氏広南国)の関係において重要な役割を果たした華人の探検家・開拓者・政治指導者。広南国における地位は河僊総兵()。 == 生涯 == 広東の雷州府海康県黎郭社に生まれる。清朝の海禁政策の影響を受けて1671年に中国を離れ〔、プノンペンに住んだ後ジャワやフィリピンへと旅をする。その後、カンボジア王の援助を受け、へと移民し、華人のコミュニティの指導者となる。またカンボジアから、この地方を統治する「オクヤー(屋牙、oknha)」の地位を得て、賭博場の運営、銀山の開発、村落の形成などの開拓事業を行った〔。1700年には河僊(現在のキエンザン省ハティエン)に、華人に「港口国」として、ヨーロッパ人に Canca、Peam、またはPontomeas として知られた半独立国を築いた。なお、ハティエンの街はもともとクメール人によって港、河口、埠頭を意味する (ローマ字転写:Piem もしくは Pean)と呼ばれていた。 後に彼はベトナムの阮氏広南国と同盟するようになった。1708年には広南国へ朝貢の使いを送り、見返りに河僊総兵(Tổng binh Hà Tiên)の称号を得る。死後は息子がその地位を継ぎ、一族の支配域はフーコック島からカマウ半島にまで及んだが〔、キン人の南進により広南国に併合され、1800年代には阮朝の領域となった。 墓はハティエンのビンサン山にある。キエンザン省では地元の英雄として親しまれ、彼の名を冠した道路が多くの街に存在する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マク玖」の詳細全文を読む
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