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マグノ・アウヴェス・ジ・アラウージョ(Magno Alves de Araújo, 1976年1月13日-)は、ブラジル出身で元同国代表のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。 == 来歴 == 地元のハトランスを経て、1995年にサンパウロ州のヴァリーニョスでプロ選手となる。プロ入り当時のポジションは右サイドミッドフィールダーだった。 1998年より在籍したフルミネンセFCでは、2000年にブラジル全国選手権で20ゴールを挙げて得点王となり、プラカール誌のボーラ・ジ・プラッタ(ベストイレブン)にも選出された。2002年にはロマーリオと2トップを組み注目を集め、リオデジャネイロ州選手権で優勝した。2001年、ブラジル代表に選ばれ、FIFAコンフェデレーションズカップで3試合に出場。 2003年、初の海外移籍となる全北現代モータースへと移籍(登録名は「マグノ」)。得点ランキング2位となる27得点を記録し「サンバ特急」の異名をとった。 2004年、大分トリニータへ移籍し、11得点を記録。2年目の2005年は18得点を記録し、チームの中心として貢献した。 2006年、2年間所属した大分の財政難もあり、ガンバ大阪に完全移籍。AFCチャンピオンズリーグにおいて、チームはGL敗退となったが、8得点を記録し得点王。Jリーグにおいても、26得点を挙げ得点王に輝いた。入れ替わりに移籍し、前年の得点王だったアラウージョとプレースタイルは違うものの、ストライカーとして活躍した。 2007年も序盤はエースストライカーとして活躍も、故障が重なり満足な成績を上げられずにいた。そんな中、シーズン終盤の11月21日から練習を無断欠席してサウジアラビアに渡り、サウジ・プレミアリーグのアル・イテハドと仮契約を結んでいたことが判明。契約違反であるとして、同月23日付けで制裁金を課された上でG大阪を解雇された。 移籍先のアル・イテハドではシーズン途中での選手登録であるにもかかわらず、サウジ・プレミアリーグアル・ナスル戦(2008年1月3日)での1試合4得点を含むリーグ9位タイとなる通算9得点(カップ戦を含めば10得点)を挙げるなど、エースストライカーとして活躍した。しかしイスラームの厳しい戒律に耐えられず、2008年6月にカタールのウム・サラルSCにわずか半年で移籍した。 ウム・サラルでも攻撃の中心選手として活躍し、2008/09シーズンのカタールリーグで得点王を獲得した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Magno Alves 」があります。 スポンサード リンク
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