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マタパン岬沖海戦[またぱんみさきおきかいせん]
マタパン岬沖海戦(マタパンみさきおきかいせん、Battle of Cape Matapan, ''Battaglia di Capo Matapan'')は、第二次世界大戦中の1941年3月に、地中海でイギリス海軍及びオーストラリア海軍とイタリア海軍の間で行われた海戦。 == 背景 ==
1940年10月28日、イタリア軍はアルバニアからギリシャへの侵攻を開始した(ギリシャ・イタリア戦争)。だが、そのイタリア軍はギリシャ軍に撃退され、逆にアルバニアへ侵攻された。これを見かねたドイツが武力を背景にした外交で枢軸国への強制参加を着々と進め、1941年3月1日にブルガリアが、3月25日にはユーゴスラヴィアが枢軸国に加わった。そして、ソ連侵攻を控えたドイツ軍はイギリス軍の脅威を排除するためギリシャ侵攻を予定していた。 1941年2月14日、ミラノでイタリア海軍の参謀長アルトゥーロ・リッカルディとドイツ海軍のエーリヒ・レーダーが会談を行った。ドイツ側はエジプト・ギリシャ間の補給路に対する攻撃を求めたが、リッカルディはそれには反対した。 イギリス軍は2月25日にはドデカネス諸島のカステロリゾ島占領を試み(アブステンション作戦)、3月にはギリシャへの陸軍部隊の移送(ラスター作戦)を開始した。このようなイギリス軍の動きもあり、ドイツや作戦実行を求めていたアンジェロ・イアキーノ中将〔Ammiraglio di squadra。英訳はSquadron Vice Admiral(フランス語のVice-amiral d'escadreより転じて。)。〕などの圧力もあって、イタリア海軍は3月16日に作戦実行を決めた。そして、3月26日にイタリア艦隊は出撃した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マタパン岬沖海戦」の詳細全文を読む
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