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マダイン・サーレハ( マダーイン・サーレハ)は、現サウジアラビア領内に存在していた古代都市である。マダイン・サーレハは「サーリフ(Saleh)の町」を意味し、アル=ヒジュル(Al-Hijr, 「岩だらけの場所」)とも呼ばれた。ヒジャーズ北部に位置し、赤い崖のあるワジの集落Al-`Ula()からは約 22 km 離れている。古代には、この都市にはサムード人(Thamudis)やナバテア人が住んでおり、ヘグラ(Hegra)として知られた。 考古遺跡群はナバテア人たちが暮らしていた紀元前1世紀から紀元1世紀頃のものが中心で、とくに装飾の施された墓石群が特徴的である〔http://whc.unesco.org/en/news/448〕。このほか、それ以前に遡る碑文も発見されている。マダイン・サーレハはナバテア人の考古遺跡としては、ヨルダンのペトラに次ぐものである。 2008年の第32回世界遺産委員会で世界遺産リストへの登録が認められた。サウジアラビアでは初の世界遺産である〔。 ==クルアーンとマダイン・サーレハ== ''詳細は夜 (クルアーン)#あらすじを参照'' サウジアラビアでは、マダイン・サーレハの遺跡は呪われた場所と考えられている。その根拠となるのが『クルアーン』第15章「アル=ヒジュル」である。そこではアル=ヒジュルの民が使徒の警告を聞き入れずに罰を受けたことが記されている〔ex. 井筒俊彦訳『コーラン』(中)、岩波文庫、p.71. サムード人がサーリフの警告を無視して滅ぼされるくだりは、第7章「胸壁」にも見られる。〕。 そのため、多くの篤信のサウジアラビア国民たちは、政府が公式に観光事業を奨励しているにもかかわらず〔government's official encouragement 〕、当該章句をあまり気にしないムスリムや非ムスリムの観光客に、良い顔をするとは限らないのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マダイン・サーレハ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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