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マッチ・エンシオ・ニッカネン(よりフィンランド語に近い表記ではマッティ・エンシオ・ニュカネン、''Matti Ensio Nykänen''、1963年7月17日 - )はフィンランドの中央スオミ県ユヴァスキュラ出身の元スキージャンプ選手。 == 経歴 == 1982年のオスロ世界選手権で18歳のとき個人90m級(K120、現在のラージヒル)で優勝を飾った後、1984年のサラエボオリンピックでは、個人70m級(K90、現在のノーマルヒル)で銀メダル、個人90m級で金メダルを獲得した。続く1988年のカルガリーオリンピックでは個人70m級、90m級、団体90m級の3種目ですべて金メダルを獲得した。スキージャンプ・ワールドカップでは史上最多の通算46勝をあげた(その後2013年にグレゴア・シュリーレンツァウアーが記録を更新)。出身国のフィンランドでは知らぬ人はいないほどの国民的英雄である。 1980年代を代表する最強のジャンパーであり、「ジャンプで恐怖を感じたことはいまだかつて一度も無い」と述べる。日本では「鳥人」と呼ばれた。 1992年に歌手に転向したが、この年の12月に突然来日、翌シーズンに迫ったリレハンメルオリンピック出場を目指して日本の社会人チームに同行し、2年ぶりにスキーを履いて名寄市での大会に参加、宮の森ジャンプ競技場など札幌市内でもトレーニングを行う。 ナショナルチームの合宿・遠征時に酒がもとでチームメイトやコーチに暴行をはたらき、メンバーを外されたことがある。3人の女性と結婚、離婚を繰り返し、2004年8月には殺人未遂事件を起こし、懲役2年2か月の実刑判決を受け服役。2005年9月に釈放されたが、4日後に虐待事件で再び逮捕されて有罪となり、2006年3月16日から4か月間服役した。その後も2009年12月に妻への傷害で逮捕される〔satakunnankansa.fi 。spiegel.de 〕。2006年1月、ニッカネンを題材とした映画『MATTI』がヨーロッパで公開された。 ; 歌手としての作品 * ''Yllätysten yö'' (1992) * ''Samurai'' (1993) * ''Ehkä otin, ehkä en'' (2006) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マッチ・ニッカネン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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