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マシュー・トマス・ケイン(Matthew Thomas Cain, 1984年10月1日 - )は、アメリカ合衆国・アラバマ州ドーサン出身のプロ野球選手(投手)。MLB・サンフランシスコ・ジャイアンツ所属。ニックネームは「The Horse」。 == 経歴 == 、MLBドラフト1巡目(全体25位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、8月29日に契約。ルーキー級アリゾナリーグ・ジャイアンツで8試合に登板し、0勝1敗、防御率3.72だった。 はA級ヘイガーズタウン・サンズで14試合に登板し、4勝4敗、防御率2.55だった。 はA+級サンノゼ・ジャイアンツとAA級ノーウィッチ・ナビゲーターズでプレー。合計で13勝5敗・防御率2.67・161奪三振を記録し、球団のマイナーリーグ最優秀選手に選出される。シーズン終了後ベースボール・アメリカ誌のプロスペクトランキングにおいてチーム内で1位の評価を受けた。 はAAA級フレズノ・グリズリーズでプレーし、パシフィックコースト・リーグでリーグ最多の176奪三振を記録。8月26日にジャイアンツとメジャー契約を結び、8月29日のコロラド・ロッキーズ戦で20歳10ヶ月の若さでメジャーデビュー。9月9日のシカゴ・カブス戦で2安打1失点で完投勝利を挙げ、球団の最年少記録を更新。2勝1敗・防御率2.33、先発した7試合の内6試合で2失点以下と好投した〔。 3月2日にジャイアンツと1年契約に合意。開幕から先発ローテーション入りし、最初の7試合で1勝5敗・防御率7.04と打ち込まれるが、5月21日のオークランド・アスレチックス戦で1安打に抑えてメジャー初完封勝利を挙げた。6月19日のロサンゼルス・エンゼルス戦では初回に1点を失うものの8回2死までノーヒットに抑えるなど高い素質の片鱗を見せた。最終的にチームトップの13勝(12敗)・防御率4.15・179奪三振、リーグ3位の被打率.222を記録するが、制球に難があり好不調の波が大きかった。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では5位に入った。 3月1日にジャイアンツと総額900万ドルの4年契約(2011年・625万ドルの球団オプション付き)を結んだ。4月9日のサンディエゴ・パドレス戦で6回までノーヒットに抑え、7回を1安打1失点ながら敗戦投手となるなど打線の援護に恵まれず、7月末まで3勝12敗。8月に4勝を挙げるものの、9月15日のパドレス戦で6回を1安打1失点ながら再び敗戦投手。ランサポート(登板時の平均援護点)が3.20とリーグワーストで、自身初の200イニング・防御率3.65ながらリーグワースト2位の16敗(7勝)を喫した。 はリーグ最多の34試合に先発し防御率3.76・186奪三振を記録するが、ランサポートが前年より更に低下して2年連続リーグワーストの3.12で8勝14敗に終わる。打線の援護に恵まれないことに対し「僕が投げる時だけわざと打たないわけではない」と発言している〔三尾圭 「2008 通信簿 FILE:496 マット・ケイン」 『月刊スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-12、81頁。〕。 は開幕から好調で5月7日から7連勝を記録するなど前半戦で10勝を挙げ、オールスターゲームに初選出される。7月までに12勝を挙げるが、以降は2勝6敗・防御率4.29と調子を落とす〔。それでも14勝8敗・防御率2.89、リーグ最多の4完投を記録した。ランサポートは4.25で前年より1点以上上昇した。 3月28日にジャイアンツと総額2625万ドルの3年契約〔2010年は425万ドル、2011年は700万ドル、2012年は1500万ドル。〕を結んだ。5月28日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で、マーク・レイノルズに打たれた二塁打と死球のみで1安打無四球完封勝利。13勝11敗・防御率3.14を記録し、チームの10年ぶりの地区優勝に貢献。自身初のポストシーズンとなったアトランタ・ブレーブスとのディヴィジョンシリーズでは第2戦に先発し、7回途中1失点(自責点0)の好投も勝敗付かず。フィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズの第3戦に先発して7回無失点で勝利投手となり、チームは8年ぶりのリーグ優勝。テキサス・レンジャーズとのワールドシリーズでは第2戦に先発、8回途中無失点の好投で勝利投手〔となり、チームは4勝1敗で以来56年ぶり、サンフランシスコ移転後初となるワールドチャンピオンとなった。ポストシーズンでは計21回.1イニングで自責点0だった。サイ・ヤング賞の投票では12位に入る。 は被本塁打わずか9で、同年投手三冠のクレイトン・カーショウを上回るリーグ最多の26試合でクオリティ・スタートを記録しながら、再び援護に恵まれないことが多く12勝に留まる。サイ・ヤング賞の投票では8位。 4月2日にジャイアンツと総額1億1250万ドル+出来高の5年契約〔2012年は1500万ドル、2013年から2017年までそれぞれ2000万ドルで、契約金は500万ドル。〕(2018年・2100万ドルの相互オプション付き〔違約金は750万ドル。〕)を結んだ。4月13日のピッツバーグ・パイレーツ戦で1安打無四球11奪三振の「準完全試合」を記録。唯一の安打は6回2死から投手のジェイムズ・マクドナルドに打たれたものだった。6月13日のヒューストン・アストロズ戦では自己最多の14奪三振の力投で、史上22人目の完全試合を達成。5月12日から8連勝を記録し、オールスターゲームでは先発投手を務めた。いずれも自己最高の16勝(5敗)・防御率2.79・193奪三振・WHIP1.04を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。シンシナティ・レッズとのディヴィジョンシリーズでは第1戦に先発するが、5回3失点で敗戦投手。最終第5戦では6回途中3失点で勝利投手〔となり、2連敗から3連勝でシリーズを突破。セントルイス・カージナルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、7回途中3失点で敗戦投手。その後1勝3敗と追い込まれるがタイに戻し、最終第7戦では6回途中無失点の好投で勝利投手〔となり、チームは2年ぶりのリーグ優勝を果たす。デトロイト・タイガースとのワールドシリーズでは3連勝で王手をかけて迎えた第4戦に先発し、7回3失点で勝敗は付かなかった〔がチームは勝利し、2年ぶりのワールドチャンピオンとなった。サイ・ヤング賞の投票では6位。 は自身初の開幕投手を務め、6回無失点の好投も勝敗は付かなかった。8月23日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りし、9月7日に復帰した。この年は30試合に登板したが、5年ぶりに二桁勝利を逃し、8勝10敗、防御率4.00だった。 は開幕ロースター入りし、開幕後は5試合に登板したが、0勝3敗、防御率4.35と結果を残せず、4月29日にはサンドイッチを作る際に右手の指を切り、5月4日に15日間の故障者リスト入りした。5月10日に故障者リストから外れた。復帰後3度目の登板となった5月21日のコロラド・ロッキーズ戦で、3回を無安打無失点に抑えたが、右ハムストリングを痛め途中降板。5月30日に15日間の故障者リスト入りした。6月6日に復帰し、7試合に登板したが、7月21日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした。8月12日に骨小片と骨棘の除去手術を行い、9月1日に60日間の故障者リストへ異動し、そのままシーズンを終えた。この年は15試合に登板し、2勝7敗、防御率4.18だった。 はスプリング・トレーニングで4試合に登板していたが、4月4日に右肘屈筋腱を損傷したため、4月7日に15日間の故障者リスト入りした。6月9日にAA級リッチモンド・フライングスクウォーレルズでリハビリを開始し、6月15日にAAA級サクラメント・リバーキャッツへ昇格。AAA級で3試合に登板後、7月2日に故障者リストから外れた。復帰後は10試合に登板したが、2勝4敗、防御率6.15と結果を残せず、8月28日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした。9月11日に復帰。2試合にリリーフとして登板後、シーズン最終戦で先発起用され、5回を2安打無失点に抑えた。この年は13試合に登板し、2勝4敗、防御率5.79だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マット・ケイン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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