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マドリード・コンプルテンセ大学(Universidad Complutense de Madrid, UCM)は、スペインのマドリード、モンクロア=アラバカ区に位置する総合大学。単に「マドリード大学」と言った場合、通常この大学を指す。マドリード・コンプルテンセ大学の歴史は非常に古く、欧州最古の部類に属し、スペインにおいてはサラマンカ大学に次ぐ歴史を誇る。学生総数は約9万人。 == 沿革 == マドリード・コンプルテンセ大学は1293年に“Studium Generale” (ストゥディウム・ゲネラーレ) の名称でカスティーリャ王サンチョ4世によってアルカラ・デ・エナーレスの地に設立された。その後1499年、フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロスの請願にローマ教皇アレクサンデル6世が応じる形でコンプルテンセ大学(Universitas Complutensis)が誕生した。コンプルテンセ(Complutensis)とは「2つの川の合流」(Complutum)を意味する「アルカラ・デ・エナーレス」のラテン語名である。 当時の主要な神学、トマス派、スコトゥス派、唯名論などの講座が設けられ、ギリシア語・ヘブライ語も学ぶことができた。さらに聖書原典の編纂事業が行われ、『コンプルトゥム多国語対訳聖書』が著された。 16世紀初頭(1509年 - 1510年)に、芸術哲学部、神学部、教会法学部、文献学部、医学部の5学部へと編成された。 1836年にコンプルテンセ大学は「マドリード中央大学」(Universidad Central de Madrid)の名称でマドリードへと移転する。マドリード中央大学の開学に伴い、旧校舎(コンプルテンセ大学)は閉鎖される事となる(※1977年、マドリード・コンプルテンセ大学がかつて存在したアルカラ・デ・エナーレスの地にアルカラ大学が開学)。 1968年、マドリード自治大学の設立に伴い、混同を避けるためマドリード・コンプルテンセ大学(Universidad Complutense de Madrid)へと改称。現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マドリード・コンプルテンセ大学」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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