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マニウス・アキリウス・グラブリオ(Manius Acilius Glabrio)は、共和政ローマの元老院議員。主に東方ギリシアを活躍の場とした。 紀元前191年にスキピオ・ナシカとともに執政官となる。そしてセレウコス朝シリアのアンティオコス3世と戦い、勝利する。その後も東方の動向、とくにアエトリア同盟の結束に努める。しかしながら結束はうまくはいかずにティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスの介入により同盟の結束を保てるようになった。 紀元前189年にグラブリオはケンソルに立候補、しかし疎外され、シリアでの略奪品の横領疑惑で告発され、立候補を取り下げた。 ==関連項目== *マケドニア戦争 *アンティゴノス朝 くらふりお まにうす 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マニウス・アキリウス・グラブリオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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