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マノエル・ド・オリヴェイラ : ウィキペディア日本語版
マノエル・ド・オリヴェイラ

マノエル・ド・オリヴェイラManoel de Oliveira , 1908年12月11日 - 2015年4月2日)は、ポルトガル映画監督ポルト県ポルト出身。現役最高齢の劇映画監督であった〔Manoel de Oliveira - Biography 〕。
日本ではかつて「マノエル・・オリヴェイラ」と表記されていたが、ポルトガル語ではアクセントがない語尾の“e”は弱い「ウ」と発音されるため、『クレーヴの奥方』(日本では2001年公開)以後は「」に変更されて紹介されている。また、「マヌエル」の表記も用いられてきたが、本人の希望は「マノエル」である〔ポルトガル映画祭 2010 〕。
== 略歴 ==
若い頃は俳優を志し、スペインイタリアで学んだ。
監督デビューは23歳と早かったが、本格的かつ定期的に作品を創り上げるようになったのは、幾度かの監督業休眠期間を経た60歳を過ぎてからである。63歳の時に撮った『過去と現在 昔の恋、今の恋』(1971年)以降世界的に注目を集め、1980年代に入り70歳を過ぎてからは1年に1作に近いペースで新作を撮り続けた。
2006年、97歳の時にルイス・ブニュエル監督の『昼顔』(1967年)のオリジナル続篇『夜顔』を撮り上げた。2007年第60回カンヌ国際映画祭オムニバス映画『それぞれのシネマ』に参加、3分の短篇を撮る。さらに同年『コロンブス 永遠の海』を、2009年『ブロンド少女は過激に美しく』を監督。『ブロンド少女は過激に美しく』の撮影中に100歳の誕生日を迎えた。その後2010年には新作『O Estranho Caso de Angélica』を撮り上げた。2014年の秋には、105歳で『レステルの老人』をベネチア映画祭に出品した。2015年4月2日、死去〔〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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