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マリア・スクウォドフスカ=キュリー : ウィキペディア日本語版
マリ・キュリー

マリア・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie, 1867年11月7日 - 1934年7月4日)は、現在のポーランドポーランド立憲王国)出身の物理学者化学者である。フランス語名はマリ(マリー)・キュリー(Marie Curie)。ワルシャワ生まれ。キュリー夫人(Madame Curie)として有名である。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による〔Robert (1974)、p.184〕。
== 生涯 ==

=== 幼少時 ===

生誕時の名前はマリア・サロメア・スクウォドフスカ(スクロドフスカ)(Maria Salomea Skłodowska)。父ブワディスカ・スクウォドフスキ(スクロドフスキー〔)は下級貴族階級出身で、帝政ロシアによって研究や教壇に立つことを制限されるまではペテルブルク大学数学物理の教鞭を執った科学者である〔エーヴ (2006)、pp.19-34、マーニャ〕。父方の祖父ユゼフも物理・化学の教授であり、ルブリンで若い頃のボレスワフ・プルフ(en)も師事した〔Robert (1974)、p.12〕。母ブロニスワバ・ボグスカも下級貴族階級出身で、女学校(ボーディングスクール)の校長を務める教育者だった〔〔ゴールドスミス (2005)、pp.14-24、第一章 マリーを育てたもの〕。
マリは5人兄弟の末っ子で、姉ゾフィア(1862年生)、ブロスニワバ(母と同名、1865年生)、ヘラ(1866年生)、兄ユゼフ(祖父と同名、1863年生)がいる。その中でもマリアは幼少の頃から聡明で、4歳の時には姉の本を朗読でき、記憶力も抜群だった〔。
だが当時、ポーランドはウィーン会議にて分割され、ワルシャワ公国はポーランド立憲王国として事実上帝政ロシアに併合された状態にあり、独立国家の体をなしていなかった〔。帝政ロシアは知識層を監視して行動に制約をかけた。マリ6歳の時、父ブワディスカが密かに講義を行っていたことが発覚して職と住居を失った。さらに母ブロニスワバも身体を壊してしまった。投機への失敗も重なり〔エーヴ (2006)、pp.35-50、暗い日々〕貧窮した一家は移り住んだ家で小さな寄宿学校を開いたが、1874年に生徒が罹患したチフスが一家に移り、姉ゾフィアが亡くなった。1878年には母ブロニスワバが結核で他界した。14歳のマリは深刻な鬱状態に陥り〔、母に倣ったカトリックの信仰を捨て〔、不可知論の考えを持つようになったという〔 "Unusually at such an early age, she became what T.H. Huxley had just invented a word for: agnostic."〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリ・キュリー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marie Curie 」があります。



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