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マリア・テレジア : ウィキペディア日本語版
マリア・テレジア

マリア・テレジア (, 1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ボヘミア女王(在位:1740年 - 1741年1743年 - 1780年)で、ハプスブルク君主国の領袖であり、実質的な「女帝」として知られる(下記参照)。
オーストリア系ハプスブルク家の男系の最後の君主であり、彼女の次代から、つまり子供たちの代からが正式に、夫の家名ロートリンゲン(ロレーヌ)との複合姓(二重姓)でハプスブルク=ロートリンゲン家となる。なお、マリア・テレジア本人が好んで使用した称号(サイン)は「(女王)」と「(皇后)」の頭文字を取った「K.K」であり、以後のハプスブルク家で慣例的に用いられるようになった〔江村 2013, p.126.〕。
== 生涯 ==

=== 大公女時代 ===


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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