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マリア・テレジア・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク(Maria Theresia Prinzessin zu Löwenstein-Wertheim-Rosenberg, 1870年1月4日 ローマ - 1935年1月17日 ウィーン)は、ドイツの上級貴族レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム家の侯女で、ポルトガル王位請求者ミゲル2世の2番目の妻。全名はマリア・テレジア・ゾフィー・ピア・アンナ・メルヒオーラ(''Maria Theresia Sophie Pia Anna Melchiora Prinzessin zu Löwenstein-Wertheim-Rosenberg'')。 レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯カール・ハインリヒと、その妻でリヒテンシュタイン侯アロイス2世の娘であるゾフィーの間の第5子、四女として生まれた。1893年11月8日にクラインホイバッハの実家の居城レーヴェンシュタイン城(Schloss Löwenstein)において、ミゲル2世と結婚した。ミゲル2世の母アーデルハイトはマリア・テレジアの伯母だったため、夫妻は従兄妹同士だった。 ミゲル2世は1881年に最初の妻エリーザベトと死別しており、この結婚は再婚であった。エリーザベトが産んだ2人の息子はいずれも貴賤結婚をしたり早世したりしたため、マリア・テレジアの産んだ息子ドゥアルテ・ヌノがミゲリスタ派のポルトガル王家の家督を継いだ。1935年にアスペルン飛行場(Flughafen Aspern)で死去し、ウィーンのデープリング地区にあるカルメル会修道院(Karmelitenkloster Döbling)に葬られた。 == 子女 == 夫との間に1男7女の8人の子女をもうけた。 *イザベル・マリア・アウグスタ・ジョゼファ・ミカエラ・ガブリエラ・ハファエラ・フランシスカ・デ・パウラ・イ・デ・アシス・アデライデ・エウラリア・ソフィア・カロリーナ(1894年 - 1970年) - 1920年、トゥルン・ウント・タクシス侯家家長フランツ・ヨーゼフと結婚 *マリア・ベネディタ・クララ・ソフィア・アロイジア・ミカエラ・ガブリエラ・ハファエラ(1896年 - 1971年) *マファルダ・マリア・アルデグンデス・エンリケータ(1898年 - 1918年) *マリア・アナ・ハファエラ・ミカエラ・ガブリエラ・ロレンサ(1899年 - 1971年) - 1921年、トゥルン・ウント・タクシス侯家家長カール・アウグストと結婚 *マリア・アントニア・ミカエラ・ハファエラ・ガブリエラ・アデライデ・シャヴィエル・ジョゼファ・エクスペディタ・グレゴリア(1903年 - 1973年) - 1934年、Ashley Chanlerと結婚(1954年離婚) *フィリパ・マリア・アナ・ジョアナ・ミカエラ・ハファエラ(1905年 - 1990年) *ドゥアルテ・ヌノ・フェルナンド・マリア・ミゲル・ガブリエル・ハファエル・フランシスコ・シャヴィエル・ハイムンド・アントニオ(1907年 - 1976年) - ポルトガル王家家長 *マリア・アデライデ・マノエラ・アメリア・ミカエラ・ハファエラ(1912年 - ) - 1945年、Nicolaas van Udenと結婚 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリア・テレジア・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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