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マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン(, 1772年6月6日 - 1807年4月13日)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世の2度目の妃。フランツ2世は1804年以降オーストリア皇帝フランツ1世を名乗り、マリア・テレジアは最後の神聖ローマ皇后および最初のオーストリア皇后となった。ナポリとシチリアの王フェルディナンド4世および3世(後の両シチリア王フェルディナンド1世)とその王妃マリア・カロリーナの長女。イタリア語名はマリーア・テレーザ()。名前は祖母である「女帝」マリア・テレジアにちなんでいる。 1790年に、母方の従兄にあたるフランツ大公と結婚した。同年に妹ルイーザ・マリアがフランツの弟であるトスカーナ大公フェルディナンドと、1797年に弟フランチェスコ1世がフランツの妹マリア・クレメンティーネとそれぞれ結婚している。1792年、フランツの神聖ローマ皇帝即位に伴い皇后となった。 夫フランツとの間に多くの子をもうけたが、1807年に34歳で死去した。フランツはその後さらに2度再婚した。 == 子女 == フランツ1世(2世)の子供は、夭逝した1女を除き、全てマリア・テレジアとの間に生まれた。 *マリア・ルイーゼ(1791年 - 1847年) - フランス皇帝ナポレオン1世の皇后。後にナイペルク伯アーダム・アーダルベルト(1784年 - 1829年)と再婚。 *フェルディナント(1793年 - 1875年) - オーストリア皇帝。 *カロリーネ・レオポルディーネ(1794年 - 1795年) *カロリーネ・ルイーゼ(1795年 - 1799年) *マリア・レオポルディーネ(1797年 - 1826年) - ブラジル皇帝ペドロ1世の皇后。 *マリア・クレメンティーネ(1798年 - 1881年) - サレルノ公レオポルド妃。 *ヨーゼフ・フランツ・レオポルト(1799年 - 1807年) - 夭折。 *カロリーネ・フェルディナンデ(1801年 - 1832年) - ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世妃。 *フランツ・カール・ヨーゼフ(1802年 - 1878年) - オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、メキシコ皇帝マクシミリアンの父。 *マリア・アンナ(1804年 - 1858年) *ヨーハン・ネポムク(1805年 - 1809年) *アマーリア・テレジア(1807年) - 流産。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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