翻訳と辞書
Words near each other
・ マリア・テレーザ・アニェージ
・ マリア・テレーザ・ダウストリア
・ マリア・テレーザ・ダズブルゴ
・ マリア・テレーザ・ダズブルゴ=エステ
・ マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナ
・ マリア・テレーザ・デ・フィリッピス
・ マリア・テレーザ・モッタ
・ マリア・ディカノヴィチ
・ マリア・ディゾン
・ マリア・デステ
マリア・デ・アブスブルゴ
・ マリア・デ・アラゴン
・ マリア・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)
・ マリア・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ
・ マリア・デ・イエス
・ マリア・デ・カスティーリャ
・ マリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド
・ マリア・デ・ジェズス
・ マリア・デ・ナバラ
・ マリア・デ・ナバーラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリア・デ・アブスブルゴ : ウィキペディア日本語版
マリア・デ・アブスブルゴ

マリア・デ・アブスブルゴ・イ・アビス(Maria de Habsburgo y Avis, 1528年6月21日 - 1603年2月26日)は、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の皇后。ドイツ語名ではマリア・フォン・シュパーニエン(Maria von Spanien)と呼ばれた。
神聖ローマ皇帝カール5世と皇后イザベラの長女(第2子)として、マドリードで誕生した。スペインフェリペ2世は兄である。
1548年に従兄に当たるマクシミリアンと結婚した。父の要請により、その不在時にスペインで夫とともに摂政を務め、1552年からウィーンへ移った。マリアは、皇帝となる2人の息子、ルドルフ2世マティアスに多大な影響を与えた。また、保守的なカトリック教徒であり、進歩的な思想を持つ夫マクシミリアンとしばしば対立した。
夫の死後、1582年にスペインへ帰国した。帰国後マリアは、「異教徒のいない国に住めてとても幸せだ。」と言ったという。1603年に亡くなるまで、スペイン国政に出しゃばることはなかった。
== 子女 ==

*アンナ(1549年 - 1580年) - スペイン王フェリペ2世
*フェルディナント(1551年 - 1552年)
*ルドルフ2世(1552年 - 1612年) - 神聖ローマ皇帝
*エルンスト(1553年 - 1595年) - スペイン領ネーデルラント総督
*エリーザベト(1554年 - 1592年) - フランス王シャルル9世
*マリー(1555年 - 1556年)
*マティアス(1557年 - 1619年) - 神聖ローマ皇帝
*男子(死産、1557年)
*マクシミリアン(1558年 - 1618年) - ドイツ騎士団総長
*アルブレヒト(1559年 - 1621年) - スペイン領ネーデルラント総督
*ヴェンツェル(1561年 - 1578年) - スペイン・マルタ騎士団団長
*フリードリヒ(1562年 - 1563年)
*マリア(1564年)
*カール(1565年 - 1566年)
*マルガレータ(1567年 - 1633年) - 修道女
*エレオノーレ(1568年 - 1580年)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・デ・アブスブルゴ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.