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マリア・デ・アブスブルゴ・イ・アビス(Maria de Habsburgo y Avis, 1528年6月21日 - 1603年2月26日)は、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の皇后。ドイツ語名ではマリア・フォン・シュパーニエン(Maria von Spanien)と呼ばれた。 神聖ローマ皇帝カール5世と皇后イザベラの長女(第2子)として、マドリードで誕生した。スペイン王フェリペ2世は兄である。 1548年に従兄に当たるマクシミリアンと結婚した。父の要請により、その不在時にスペインで夫とともに摂政を務め、1552年からウィーンへ移った。マリアは、皇帝となる2人の息子、ルドルフ2世とマティアスに多大な影響を与えた。また、保守的なカトリック教徒であり、進歩的な思想を持つ夫マクシミリアンとしばしば対立した。 夫の死後、1582年にスペインへ帰国した。帰国後マリアは、「異教徒のいない国に住めてとても幸せだ。」と言ったという。1603年に亡くなるまで、スペイン国政に出しゃばることはなかった。 == 子女 == *アンナ(1549年 - 1580年) - スペイン王フェリペ2世妃 *フェルディナント(1551年 - 1552年) *ルドルフ2世(1552年 - 1612年) - 神聖ローマ皇帝 *エルンスト(1553年 - 1595年) - スペイン領ネーデルラント総督 *エリーザベト(1554年 - 1592年) - フランス王シャルル9世妃 *マリー(1555年 - 1556年) *マティアス(1557年 - 1619年) - 神聖ローマ皇帝 *男子(死産、1557年) *マクシミリアン(1558年 - 1618年) - ドイツ騎士団総長 *アルブレヒト(1559年 - 1621年) - スペイン領ネーデルラント総督 *ヴェンツェル(1561年 - 1578年) - スペイン・マルタ騎士団団長 *フリードリヒ(1562年 - 1563年) *マリア(1564年) *カール(1565年 - 1566年) *マルガレータ(1567年 - 1633年) - 修道女 *エレオノーレ(1568年 - 1580年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリア・デ・アブスブルゴ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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