翻訳と辞書
Words near each other
・ マリア・テレーザ・デ・フィリッピス
・ マリア・テレーザ・モッタ
・ マリア・ディカノヴィチ
・ マリア・ディゾン
・ マリア・デステ
・ マリア・デ・アブスブルゴ
・ マリア・デ・アラゴン
・ マリア・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)
・ マリア・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ
・ マリア・デ・イエス
マリア・デ・カスティーリャ
・ マリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド
・ マリア・デ・ジェズス
・ マリア・デ・ナバラ
・ マリア・デ・ナバーラ
・ マリア・デ・パディリャ
・ マリア・デ・パディーリャ
・ マリア・デ・パデリア
・ マリア・デ・ポルトゥガル
・ マリア・デ・ポルトゥガル (1521-1577)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリア・デ・カスティーリャ : ウィキペディア日本語版
マリア・デ・カスティーリャ

マリア・デ・カスティーリャ(María de Castilla, 1401年9月1日 - 1458年10月4日)は、アラゴンアルフォンソ5世の王妃。カスティーリャエンリケ3世と王妃カタリナの娘。
1415年に従兄であるアルフォンソと結婚し、翌1416年の夫の王位継承により王妃となった。2人の間に子供は生まれなかった。なお、1418年にマリアの弟フアン2世とアルフォンソの妹マリアが結婚している。
アルフォンソ5世はアラゴン王位とともにバルセロナ伯、およびバレンシアシチリアの王位を継承していたが、ナポリ王位を争って1442年に獲得した。アルフォンソ5世はたびたび出征を重ねた後、ナポリ王国の征服後はナポリに宮廷を構えてアラゴンやカタルーニャへは戻らなかった。そのため、マリアは夫に代わって摂政としてカタルーニャを治めた。
1458年、夫の死から3ヶ月余り後にバレンシアで死去した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・デ・カスティーリャ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.