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マリア・ドローレス・デ・コスペダル・ガルシーア : ウィキペディア日本語版
マリア・ドローレス・デ・コスペダル・ガルシーア

マリア・ドローレス・デ・コスペダル・ガルシーア(María Dolores de Cospedal García、1965年12月13日 - )は、スペインの政治家で、カスティーリャ=ラ・マンチャ州首相で、 国民党幹事長で、同党のナンバー2である。
2007年の自治州選挙(Elecciones a las Cortes de Castilla-La Mancha de 2007)では、国民党のカスティーリャ=ラ・マンチャ自治州首相候補として選挙戦を戦い、敗北した。2011年の自治州選挙(Elecciones a las Cortes de Castilla-La Mancha de 2011)では国民党は得票率48.11%で、定数49議席のうち過半数の25議席を獲得し、自治州創設以降、1983年から2004年までホセ・ボノ(José Bono)、そして2011年までホセ・マリーア・バレーダ(José María Barreda)と社会労働党政権が続いた同州で、初めて国民党政権が誕生した。ビルダーバーグ会議のメンバーである。
== 略歴 ==

=== 生い立ちから政界入りまで ===
コスペダルは生まれはマドリードであるが、家族の出身地であるアルバセーテ県エル・ボニージョで育った。17歳で民主改革党(Partido Reformista Democrático)の青年組織に参加。
マドリードのサン・パブロ=CEU大学(Universidad San Pablo-CEU)で法学を学び、1991年には国政弁護人団(Cuerpo de Abogados del Estado)に加わった。1992年には公共事業・交通・環境省の司法部門に配属。1994年から96年にかけては社会政策省において国政弁護人としての経験を積み、1997年労働・社会政策省の官房において顧問官として、翌1998年には在米国スペイン大使館において労働・社会政策担当参事官として勤務。1999年労働・社会政策省の事務局長に就任、2000年5月から2002年6月公共行政省次官代理を、その後2004年4月までは内務省次官代理を務めた。2004年5月から2005年12月まで人権裁判所で国政弁護人を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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