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マリオン・ジョーンズ(Marion Jones, 1975年10月12日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女子陸上競技選手。アメリカ以外に、両親の出身地であるベリーズの国籍も持つ。フローレンス・ジョイナーの後継者的存在であり、オリンピックで5つのメダルを獲得したが、禁止薬物の使用が発覚したことでジョーンズは獲得した全てのメダルを返還、後に全ての陸上記録が抹消された。 == 経歴 == バスケットボールと陸上競技の両方に秀でていたジョーンズは、1992年のジュニア世界陸上選手権に出場した後にバスケットボールに軸を移し、ノースカロライナ大学の一員として1994年のNCAA女子バスケットボール選手権で優勝する。怪我によりアトランタオリンピックの選考から漏れると、今度は陸上に専念することを決意した。 1997年世界陸上競技選手権大会では、走幅跳では10位だったものの、100mで優勝した。1999年世界陸上競技選手権大会では、4つのタイトルに挑戦したが、100mで優勝、走り幅跳びで3位の後、200mの予選で肉離れにより棄権した。2001年世界陸上競技選手権大会でも圧倒的な実力を持つと見られていたジョーンズだが、100mではウクライナのザンナ・ピンツセビッチとの接戦の末、敗れ銀メダルとなった。陸上転向以降、100mで敗れたのは初めてのことだったが、200mと4x100mリレーでは金メダルを勝ち取った。 アテネオリンピックでは走幅跳で5位、4x100mリレーでは決勝でバトンミスしてしまい失格となった。ジョーンズは取材に対して「完全に失望したわ。なんて言ったらいいか分からないわ」と答えた。しかしまた、オリンピックでの挑戦はこれで終わりではないとも述べ、再挑戦の意向を示した。 2006年6月23日の全米選手権において100mを11秒10で4年ぶりの優勝を果たし、さらに2006年ゴールデンリーグパリ大会において10秒92で優勝し、完全復活をアピールしたが、2007年10月5日に引退を表明(後述)。 2005年の新春に、TBSの「アテネ五輪美女総出演雨上がり&極楽とんぼ炎の体育会TV2005!!」に出演するなど、時々日本のテレビ番組にもゲスト出演している。 2010年3月10日、バスケットボールの米女子プロリーグ・WNBAのタルサ・ショックと契約を結び、バスケットボール界に復帰することになったが、2011年シーズンは出場14試合で平均得点が1点以下とほとんど活躍できず、同年7月21日にチームを解雇された〔バスケット=元陸上メダリストのジョーンズ、米プロチーム解雇 - ロイター・2011年7月22日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリオン・ジョーンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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