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マリナ・オズマリア・マリナ・シルバ(Marina Silva、本名:Maria Osmarina Marina Silva Vaz de Lima、1958年2月8日 - )は、ブラジルの環境保護活動推進者で政治家。アマゾンの環境保護を推進していたが暗殺されたシコ・メンデスと同僚。 マリナは2009年8月19日まで労働者党の上院議員を務めたのち2003年に環境大臣に就任。 1996年、アマゾンの環境保護活動をめぐって環境保護に功績のあった草の根の活動家に贈られるゴールドマン環境賞を受賞。 2007年、マリナはUNEPからChampions of the Earthに認定され、2009年には「アマゾン熱帯雨林の保護活動で比類のない勇気と功績を示した」として、国際的な環境保護活動に貢献した人物に贈られるソフィー賞を受賞。 (環境分野の活動家及びアフリカ人女性として史上初のノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイも同賞を受賞している) 2010年に緑の党党首として大統領選挙に出馬、19.33%の得票率を記録。 開発に反対する原理主義者ではなく、持続可能な開発を目指すことが信条で、欧米からは「南米の環境保護の旗手」と高い評価を受けている。 2012年7月のロンドンオリンピックの開会式では、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長らとともに五輪旗の旗手も務めた。 ==生い立ち== マリナはアクレ州のリオブランコの郊外70kmに位置する小さな村で、ゴム林プランテーション採取業者の貧しい家庭の11人の子の一人として生まれた。 父方母方ともにポルトガル人と黒人の血統。 肝炎と金属中毒に加え、5度のマラリアに苦しみながらも生き抜いた。 16歳の時、勉強と肝炎の治療のためにアクレ州の州都リオ・ブランコに移り住む。 修道院でカトリック式の教育を受け、家族で唯一読み書きができるようになり修道院を出た後、家政婦として働いた。 その後歴史学を専攻したマリナは26歳でアクレ連邦大学を卒業し精力的に政治活動を行い、1984年にはアクレ州初の労働組合の設立に寄与した。 アマゾンの森林破壊と原住民の移住政策に反対すべく、アマゾン森林保護の活動家であるシコ・メンデスと共にデモを主導したこともある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリナ・シルバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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