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マリリン・ヴァン・ダーバー(Marilyn Van Derbur、1937年6月6日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州出身の1958年度ミス・アメリカ。講演会講師。 幼少期に受けた父親による性的虐待を1991年に公表し、家庭内性被害者による告発の先駆となる。近親相姦という禁忌な事柄を有名人が告白したことと、「よきアメリカ」を代表するような裕福な白人家庭の理想的一家の裏側を暴いたことから、世間を大いに賑わせた。これをきっかけに近親相姦被害者(インセスト・サバイバー)による告発が相次ぎ、それまでアメリカでは貧しい有色人種家庭に起こる問題と思われていた近親相姦があらゆる家庭で起こり得る問題であったことが表面化した。 公表後は、児童虐待撲滅のための講演や本の執筆、被害者の支援などを行なっている。結婚後の名はマリリン・ヴァン・ダーバー・アトラー。 == 略歴 == 1937年、デンバーで大手葬儀会社を営む裕福な一家の4人姉妹の末娘として生まれる〔of Consequence: The Colorado Women's Hall of Fame Jeanne Varnell Big Earth Publishing, 1999〕。父親のフランシスはやり手の実業家で見た目もよく、慈善家としても知られる町の名士で、寝室が6部屋ある豪邸に住み、家庭的な妻と美しい娘をもつ理想的な人物として認知されていた〔。マリリンは地元の名門校イースト高校〔tradition-rich East High School a grand ol' Angel The Denver PostPost、02/10/2013〕に進学し、オールAの優等生であるだけでなく、水泳、スキー、ゴルフ、乗馬の選手としても活躍し〔、障害者施設でボランティアにも励んだ〔Darkest Secret People, June 10, 1991〕。また、その美貌から美少女コンテストに選ばれたり、セブンティーン誌の「ミス・ヤング・アメリカ」のデンバー代表に指名されたりもした〔。コロラド大学に入学後、1957年にミス・コロラドになり、全国大会で優勝して1958年度のミス・アメリカに選ばれる。ブロンドヘアに美しい緑の目をもつ美女が立派な両親と美しい姉妹に囲まれた姿は、「パーフェクト・ファミリー(完璧な家族)」と称賛された。 一年間、コンテスト優勝者として国内外を忙しく飛び回り、胃痙攣に悩まされながらも、さまざまなイベント活動を精力的にこなしたのち、大学に戻って学業を続け、スキー選手として活躍する一方、成績優秀者に与えられるファイ・ベータ・カッパ (Phi Beta Kappa) の称号も獲得し卒業、モチベーション・スピーカー(人にやる気を起こさせる啓発的な講演をする人)となる〔。1961年に同じ大学出身の元フットボール選手からプロコーチになった男性と結婚したが、3か月で離婚〔。ニューヨークでベル・テレフォン社(現AT&T)提供番組の広報の仕事を得、テレビや講演会で活躍した〔。1964年、高校時代からのボーイフレンドで弁護士のラリー・アトラーと再婚し、「マリリン・ヴァン・ダーバー・モチベーション・インスティテュート」を設立し、ビジネスマン向けの講演会講師を続けながら、娘ジェニファーを育てていたが〔、体が麻痺して動かなくなる発作が起こるようになり、1984年に仕事を辞め、治療に専念する。肉体的な異常はないと診断され、セラピーにかかったが、麻痺の発作は51歳まで続いた〔。1991年に児童虐待関係の講演会で、父親からの性的虐待被害者であったことを公表、2003年には体験を綴った『ミス・アメリカ・バイ・デイ』を出版した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリリン・ヴァン・ダーバー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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