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マリーア・カロリーナ・ディ・サヴォイア : ウィキペディア日本語版 | マリーア・カロリーナ・ディ・サヴォイア
マリーア・カロリーナ・アントニエッタ・アデライーダ・ディ・サヴォイア(Maria Carolina Antonietta Adelaide di Savoia, 1764年1月17日 トリノ王宮、トリノ - 1782年12月28日 ドレスデン)は、イタリアのサヴォイア家の王女で、ザクセン王アントンの最初の妻。夫の即位する45年前に死去したため、王妃ではない。 サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世とその妻でスペイン王フェリペ5世の娘であるマリーア・アントニエッタの間の第10子、六女として生まれた。ザクセン公子アントンとの結婚が決まり、1781年9月28日にストゥピニージ宮殿において代理結婚式が、同年10月24日にドレスデンで正式な結婚式が執り行われた。王女の結婚に際し、トリノでは王宮やパラッツォ・ゴンティエーリで盛大な祝宴が開かれた〔Luigi Bassignana, ''Torino in Festa'', pp. 142-144, 2004, Torino Incontra〕。しかしこの結婚に乗り気でなかったマリーア・カロリーナは婚家になじめず、結婚後1年ほどで天然痘に罹患して18歳の若さで死去した。遺骸はドレスデンのカトリック宮廷教会に葬られた。夫は1787年にオーストリア大公女マリア・テレジアと再婚した。 マリーア・カロリーナの郷里での人気は高く、詩人グイド・ゴッツァーノも「''Poesie Sparse''」という詩集の中に王女を登場させている。 == 脚注 ==
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