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マリーア・テレーザ・ダウストリア=エステ : ウィキペディア日本語版 | マリーア・テレーザ・ダウストリア=エステ
マリーア・テレーザ・ダウストリア=エステ(伊:Maria Teresa d'Austria-Este, 1773年11月1日 - 1832年3月28日)は、マリア・テレジアの四男フェルディナント大公とその妻のマッサ=カッラーラ女公マリーア・ベアトリーチェ・デステの長女。オーストリア=エステ大公女。サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の王妃となった。全名はドイツ語でマリア・テレジア・ヨハンナ・ヨゼフィーネ・フォン・エスターライヒ=エステ(Maria Theresia Johanna Josephine von Österreich-Este)。 ==子女==
*マリーア・ベアトリーチェ(1792年 - 1840年) − モデナ公フランチェスコ4世妃 *マリーア・アデライーデ(1794年 - 1802年) *カルロ・エマヌエーレ(1796年 - 1799年) *女子(1800年 - 1801年) *マリーア・アンナ(1803年 - 1884年) − オーストリア皇帝フェルディナント1世妃 *マリーア・テレーザ(1803年 - 1879年) − ルッカ公、パルマ公カルロ2世妃 *マリーア・クリスティーナ(1812年 - 1836年) - 両シチリア王フェルディナンド2世妃
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