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マリーナ・アブラモヴィッチ : ウィキペディア日本語版
マリーナ・アブラモヴィッチ

マリーナ・アブラモヴィッチ(、、、1946年11月30日 - )はユーゴスラビア出身のパフォーマンスアーチストである。特に、自身の肉体に暴力を加える過激なパフォーマンスで世界的に知られる。
== 略歴 ==
1946年にベオグラードで第二次世界大戦時の抵抗運動に参加していた両親のもとに生まれる(父は国民的英雄、母は陸軍少佐であった)。祖父はセルビア正教会総主教。1965年から1970年までベオグラードの造形美術アカデミーで絵画を学ぶ。アカデミー卒業後、ボディーアートパフォーマンスアートへの取り組みを始める。1968年よりコンセプトアートを製作。1973年に初のパフォーマンスを行う。
1970年代、セルビアノヴィ・サドにある造形美術アカデミーで教鞭をとる一方で、ヘルマン・ニッチュのパフォーマンス活動に参加している。1976年より、当時の伴侶であったドイツ人のウライUlay 本名:Uwe Laysiepen)とカップルをテーマとしたパフォーマンスシリーズ「Relationworks」を行う。ウライとの関係は1989年に解消している。
1990年から1991年までの間、パリのアカデミー・デ・ボザールとベルリン造形美術大学(現:ベルリン芸術大学)で客員教授を勤める。1992年から1996年までハンブルク造形美術大学の正教授として、1997年から2004年までブラウンシュヴァイク造形美術大学でパフォーマンス科の教授として教鞭をとる。2003年、ニューヨークに若手のパフォーマンスアーチストを発掘・助成する団体、国際パフォーマンスグループ(Independent Performance Group)を設立する(2007年解散)。2005年に活動拠点をアムステルダムからニューヨークに移し、同年イタリアの彫刻家パオロ・カネヴァリ(Paolo Canevari)と結婚。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリーナ・アブラモヴィッチ」の詳細全文を読む



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