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マリーヤ・ドーリナ : ウィキペディア日本語版
マリーヤ・ドーリナ

マリーヤ・イヴァーノヴナ・ドーリナ(、1922年12月18日 - 2010年3月3日)は、ソ連軍人である。第二次世界大戦において、急降下爆撃機の乗員として功績を残した。また、第1バルト戦線の第125親衛爆撃飛行連隊の司令官を務めた。ロシア生まれのウクライナ人

== 概要 ==

=== 少女時代 ===
マリーヤ・ドーリナは、ウクライナ系農民の一家の長女として、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国オムスク州の小村シャローフカに生まれた。兄弟は10人いた。
しかし、父がロシア内戦で両脚を失ったことから、一家は1932年には母国ウクライナへ帰郷、ザポロージエ州のミハーイロフカ村に居住した。村の中等学校を卒業したのち、マリーヤ・ドーリナは家族を養うため働きに出た。それと同時に、メリトーポリ航空クラブの支部であった村のグライダー学校に通うようになった。1930年代当時、ソ連では空への挑戦がひとつの流行となっていた。
1939年、マリーヤ・ドーリナはヘルソーン航空学校を卒業し、エンゲリス軍事航空学校へ入学した。また、ドネプロペトロフスクニコラーエフの航空クラブでパイロットインストラクターとして働いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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