翻訳と辞書
Words near each other
・ マリー・ウォールキャンプ
・ マリー・エリザベート
・ マリー・エリザベート・ド・フランス
・ マリー・エリザベート・ド・ヴァロワ
・ マリー・エレオノーレ・ツー・ヴィート
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク (1599-1655)
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク (1607-1675)
・ マリー・オリギン
・ マリー・カジミール・ド・ラ・グランジェ・ダルキアン
マリー・カジミール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン
・ マリー・カマルゴ
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン=シシレ
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン=シシレ (1822-1869)
・ マリー・カヴァリエ
・ マリー・ガブリエーレ・イン・バイエルン
・ マリー・ガラント島
・ マリー・ガラント空港
・ マリー・キャリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリー・カジミール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン : ウィキペディア日本語版
マリー・カジミール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン

マリー・カシミール・ルイーズ・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン(Marie Casimire Luise de la Grange d'Arquien, 1641年6月28日 - 1716年1月1日)は、ポーランドヤン3世ソビエスキの王妃。ポーランド語名ではマリア・カジミェラ(Maria Kazimiera)と呼ばれ、マリシェンカ(Marysienka)の愛称で知られた。
== 生涯 ==
フランスの貴族アンリ・アルベール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン侯爵の娘として、ヌヴェールで生まれた。5歳の時、ポーランド王ヴワディスワフ4世へ輿入れするルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガに侍女として同行し、ポーランドへやってきた。1656年に宮廷へやってきたヤン・ソビエスキと出会うが、2年後マリーは共和国最有力の貴族の一人であるキエフ県知事ヤン・ソビエパン・ザモイスキと結婚した。ザモイスキと1665年に死別すると、同年7月にヤン・ソビエスキと再婚した。
1672年にヤン・ソビエスキはポーランド王に選出されるが、マリーの影響なしには叶わなかったといわれる。ポーランド王妃として、マリーはフランスの親族が特権を得られるようルイ14世に要求し、またフランスとの同盟関係締結に奔走した。ヤンとマリシェンカの仲睦まじさは、1665年から1683年の間に交わした多くの恋文によって知られている。ヤンの戦争による不在、マリーの私的パリ訪問などの間に書かれたもので、2人の死後に出版された。
夫が晩年になって長男ヤクプ・ルドヴィクを後継の国王にしようと画策し始めると、マリシェンカはこれに反対し、娘婿のバイエルン選帝侯マクシミリアン・エマヌエルを支持したが、新王に選ばれたのはザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト(アウグスト2世)であった。マリシェンカは1716年、母国フランスのブロワで亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・カジミール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.