翻訳と辞書
Words near each other
・ マリー・エリザベート・ド・フランス
・ マリー・エリザベート・ド・ヴァロワ
・ マリー・エレオノーレ・ツー・ヴィート
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク (1599-1655)
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク (1607-1675)
・ マリー・オリギン
・ マリー・カジミール・ド・ラ・グランジェ・ダルキアン
・ マリー・カジミール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン
・ マリー・カマルゴ
マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン=シシレ
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン=シシレ (1822-1869)
・ マリー・カヴァリエ
・ マリー・ガブリエーレ・イン・バイエルン
・ マリー・ガラント島
・ マリー・ガラント空港
・ マリー・キャリー
・ マリー・キュリー
・ マリー・キュリー・スクウォドフスカ大学


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン : ウィキペディア日本語版
マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン

ベリー公爵夫人マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン(Marie Caroline Ferdinande Louise de Bourbon, La Duchesse de Berry, 1798年11月5日 - 1870年4月16日)は、両シチリア王女にしてフランスの王位継承者ベリー公シャルル・フェルディナンの妃。パルマ公カルロ3世の妃ルイーズとシャンボール伯アンリ・ダルトワの母。
== 生い立ち==
1798年11月5日にシチリア島パレルモで生まれた。父は後の両シチリア国王フランチェスコ1世、母は神聖ローマ皇帝レオポルト2世の娘マリー・クレメンティーネである。
マリー・カロリーヌが生まれた頃、ナポリシチリア王国のブルボン家はナポレオン・ボナパルトイタリア遠征による南イタリア侵略によって、宮廷をナポリからパレルモに移していた。
復古ブルボン朝のフランス国王ルイ18世には子供がおらず、王弟アルトワ伯爵(後のシャルル10世)の長男であるアングレーム公夫妻にも子供はいなかった。次男ベリー公シャルル・フェルディナンはイギリス亡命中の1806年にイギリス人女性エイミー・ブラウンと結婚し、既に2人の女児がいたが、この結婚は国王ルイ18世にも教会にも認められていなかった。世継ぎを必要としたフランス王室は、オーストリア皇帝フランツ1世の姪でありブルボン家の血も引く、当時17歳のマリー・カロリーヌをベリー公の正式な妻として迎えた。1816年6月17日、2人はノートルダム大聖堂で結婚し、エリゼ宮で生活した。結婚後も愛人と別れないベリー公とは口論を繰り返したが、マリーは1818年7月13日に女児を出産、しかし翌日に亡くなった。だが再びすぐに妊娠し、1819年9月21日、長女ルイーズを出産した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.