|
マリー・シャンタル(Marie Chantal, 1968年9月17日 - )は、旧ギリシャ王国の王太子パウロスの妻。ギリシャのプリンセスの称号を持つ〔Greekroyalfamily.org 〕。絵本作家、イラストレーター、子供服のデザイナーでもある〔Greekroyalfamily.org 〕。旧姓名はマリー・シャンタル・クレア・ミラー(Marie Chantal Claire Miller)。 == 略歴 == アメリカのDFSグループの創業者で香港の投資会社サーチ・グループ会長である富豪ロバート・W・ミラー〔New York Times, January 12, 1995〕の次女。母は、エクアドル人の建設作業員の娘マリア・クララ・ペサンタス。姉のピア(石油王クリストファー・ゲティの先妻)、妹のアレクサンドラ(デザイナーのダイアン・フォン・ファステンバーグの一人息子アレクサンドルの先妻)と合わせて「ミラー三姉妹」として知られる。 ロンドンで生まれ、10歳まで香港で育った。姉妹で5年間スイスのル・ロゼで学んでいる。1982年にパリのインターナショナルスクール、エコール・アクティプ・ビラング(EaB)に転校、さらにニューヨークの女子校マスターズ・スクールに転校した。ニューヨーク大学で芸術史を学んだ(のちにジョージタウン大学で学ぶパウロスを追いかけるために中退し、ジョージタウン大学近くの美術学校へ転校した)。 1992年に父親の取引先の紹介でパウロスと会い、ひと目惚れした〔http://www.vanityfair.com/style/features/2008/02/marie_chantal200802〕。1994年のクリスマスの日、スイスの高級スキーリゾート地、グスタードでプロボーズを受ける(当地にはミラー家の別荘がある)。 ローマンカトリックからギリシャ正教会に改宗するため、正教会のコンスタンディヌーポリ総主教であるヴァルソロメオス1世の祝福を受けにトルコのイスタンブールにふたりで行き改宗した〔。 1995年7月1日、パウロスとロンドンの聖ソフィア大聖堂で結婚した〔。結婚式はマリー・シャンタルの父親で世界中のDFS(デューティフリーショップ)のオーナーであるロバート・ミラーのしきりで、1400人の招待客が見守る中、セント・ソフィア・カテドラル教会で行なわれた。この前日には2日間にわたり、ケント州セブンオークで盛大なプレ・パーティが行なわれ、式後にはハンプトン・コート宮殿でミラー夫妻主催のランチバーティが開かれた。ミラーは式とバーティのために800万ドルをかけ、持参金に2億ポンドを持たせたと言われている〔http://www.vanityfair.com/style/features/2008/02/marie_chantal200802〕。 2000年、「Marie Chantal LLC」という子供服のブランドを設立した。アメリカやロンドン、アテネの高級デパートに出店している。 2011年、マリー・シャンタルはアメリカ合衆国の市民権を放棄した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリー・シャンタル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|