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マルガレーテ・フォン・バーベンベルク : ウィキペディア日本語版 | マルガレーテ・フォン・バーベンベルク
マルガレーテ・フォン・バーベンベルク(Margarete von Babenberg, 1204年または1205年 - 1266年10月29日)は、名目上のオーストリア女公(在位:1252年 - 1260年)。マルガレーテ・フォン・エスターライヒ(Margareta von Österreich)とも。 バーベンベルク家のオーストリア公レオポルト6世と東ローマ帝国の皇族であるテオドラ・アンゲリナの間の長女。弟フリードリヒ2世はバーベンベルク家最後のオーストリア公で、1246年に嗣子を残さずに死去したため、公位の継承が問題になった。 マルガレーテは最初、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の嫡男ハインリヒと結婚した。ハインリヒはドイツ王に選ばれたが、後に父に叛いて廃位され、1242年に死去した。マルガレーテはハインリヒとの間に2人の息子を生んだが、いずれも夭折した。 10年後の1252年、マルガレーテは新たなオーストリア公でボヘミアの王太子であるオタカルと結婚した。翌1253年にオタカルはボヘミア王オタカル2世となる。マルガレーテはオタカル2世より26歳年上であった。高齢であったため、世継ぎを生む可能性が無いとみたオタカル2世は1261年にローマ教皇から婚姻の無効を取り付けてマルガレーテと離婚、クンフタ・ウヘルスカーと再婚した。マルガレーテはオーストリアへ戻り、1266年に没した。
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