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マルク・ロセ(Marc Rosset, 1970年11月7日 - )は、スイス・ジュネーヴ出身の元男子プロテニス選手。1992年のバルセロナ五輪で男子シングルスの金メダルを獲得した選手である。4大大会でも、1992年の全仏オープン男子ダブルスでヤコブ・ラセクとペアを組んで優勝した。身長200cm、体重88kg。自己最高ランキングはシングルス9位、ダブルス8位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。バルセロナ五輪の金メダルを含めて、ATPツアーでシングルス15勝、ダブルス8勝を挙げた。 == 来歴 == 1988年にプロ入り。1989年8月に地元スイスのトーナメントでプロ初優勝を果たし、1990年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのスイス代表選手になる。1992年の全仏オープンで、ロセは同僚選手のヤコブ・ラセクとペアを組んで優勝し、スイス国籍のテニス選手として初のグランドスラム・タイトルを獲得した。1992年バルセロナ五輪では、3回戦で第1シードのジム・クーリエ(アメリカ代表)、準決勝で当年度のウィンブルドン準優勝者ゴラン・イワニセビッチ(クロアチア代表)を破って決勝に進出する。決勝ではスペイン代表のホルディ・アレッセと 7-6, 6-4, 3-6, 4-6, 8-6 の激戦を制し、スイス代表として金メダルを獲得した。テニスがオリンピック競技に復活したのは前回の1988年ソウル五輪からであり、ロセは男子テニスのシングルスで“復活第2号”の金メダリストになった。この年、ロセとラセクはデビスカップでスイス・チームを初の「ワールドグループ」(世界最上位16ヶ国)決勝に導いたが、12月4日-6日の決勝でアメリカに「1勝3敗」で敗れた。 ロセの4大大会自己最高成績は1996年の全仏オープンベスト4だが、この時は準決勝でドイツのミヒャエル・シュティヒに 3-6, 4-6, 2-6 で敗れた。それから2年後、ロセは1998年の全米オープンで1回戦敗退に終わった後、ニューヨークから故国スイスへの帰国便の飛行機を予定より1便遅らせた。彼が乗る予定だった飛行機が、1998年9月2日のスイス航空111便墜落事故で乗員229名全員が死亡する惨事に遭った。そのため、ロセは命拾いをする形になったのである。 ロセは2003年までデビスカップのスイス代表として出場を続けたが、最後の年にはロジャー・フェデラーとダブルスのペアを組み、ワールドグループ準々決勝のフランス戦と準決勝のオーストラリア戦に出場した。こうして彼のデ杯通算対戦成績は、スイス・チーム歴代2位の「37勝21敗」(シングルス24勝13敗/ダブルス13勝8敗)となった。2002年9月から2005年3月まで、ロセはスイス・チームのキャプテンを務めたが、一時は出場選手とチーム監督を兼任したこともある。 マルク・ロセは2005年10月に35歳で現役引退を表明した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルク・ロセ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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