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マルコマンニ戦争[まるこまんにせんそう]
マルコマンニ戦争(マルコマンニせんそう、〔''Historia Augusta'', Marcus Aurelius, 12, note 92〕 ベッルウム・ゲルマニクム)は、162年から始まったローマ帝国の北方国境で発生した戦争の総称。主要な敵対勢力であったマルコマンニ人からこのように呼ばれるが、彼らはあくまで参加勢力の一派に過ぎない。戦いの最中でマルクス・アウレリウス帝は病没、180年に後を継いだコモドゥス帝によってローマ側に有利な和睦が結ばれて戦争は終結した。 アウレリウスの思索書である『自省録』はこの戦争の間に書かれたと考えられている〔''Meditations'', Book 1, at the Internet Classics Archive 〕。 ==背景== ユリウス・クラウディウス朝、フラウィウス朝と続いて第三の王朝となるネルウァ=アントニヌス朝の時代、ハドリアヌス帝による防備強化の効果もあって平穏な情勢が続いていた。しかしアントニヌス・ピウス帝の時代に相次いで国境の不安定化が進み、その甥であるマルクス・アウレリウス帝は即位から数年後にパルティア帝国とのに臨まねばならなくなった。戦いは将軍ガイウス・アウィディウス・カッシウスの活躍で勝利に帰したが遠征の為にライン・ドナウ国境の戦力が引き抜かれた状態になっていた。追い討ちをかけるように、直後のアントニヌスの疫病で帝国内は甚大な被害を蒙る事となる〔BBC: Past pandemics that ravaged Europe , 7 November 2005〕。国境防備の弱体化と疫病に加え、国境地帯より遥か東方で蛮族同士の動乱が起きると国境はいよいよ不穏な状態になった。 162年、ドナウ川周辺に滞在していた勢力が一斉に渡河を開始してローマ領内に侵攻し、マルコマンニ戦争の火蓋が切られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルコマンニ戦争」の詳細全文を読む
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