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マルジュ・アユーンの戦い : ウィキペディア日本語版 | マルジュ・アユーンの戦い[まるじゅあゆーんのたたかい]
マルジュ・アユーンの戦い(英:Battle of Marj Ayyun)で、1179年6月10日にサラディン率いるアイユーブ軍がボードゥアン4世王率いる十字軍を破った。ハンセン病で体が不自由だったキリスト側の王は敗走においてあわや囚われるところだった。
== 背景 == 1177年にサラディンのアイユーブ軍はエジプトからエルサレム王国に侵攻した。その年にボードゥアン王はモンジザールの戦いにおいて奇襲でサラセンの大軍を破った。 1179年にサラディンは再びダマスカス方面から十字軍国家に侵攻した。彼はバニアスに陣を置いて村々とシドン近くの収穫物と沿岸地域を略奪するために襲撃部隊を送った。農民と市民はサラセンの襲撃者のために貧窮化し、フランクの君主に地代を払うことができなくなった。もしそれが止まなければ、サラディンの破壊方針は十字軍王国を弱体化させることだろう。 これに対し、ボードゥアンは軍をガラリヤ海近くのティベリアスへと動かした。そこから彼は北北西のツファットの砦へと進軍した。同方面へと進み続け、彼はテュロスの東南東、およそ13マイル(21キロ)のトロン城に到着した。ウード・ドゥ・サン・アマン率いるテンプル騎士団と伯爵レーモン3世のトリポリ伯国勢と共にボードゥアンは北東へと移動した〔Smail, p. 186〕。
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