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マルジュ・ダービクの戦い : ウィキペディア日本語版 | マルジュ・ダービクの戦い[まるじゅ だーびくのたたかい]
マルジュ・ダービクの戦い(マルジュ・ダービクのたたかい、معركة مرج دابق Ma'rakat Marj Dābiq)は、1516年8月24日にシリア北部ハラーブ近郊マルジュ・ダービク(ダービク平原)で行われたオスマン帝国とマムルーク朝の戦い。 == 背景 == セリム1世率いるオスマン帝国の遠征軍がシリアに入ったという一報を受けて、1516年8月、マムルーク朝のスルタン・カーンスーフ・アル=ガウリーは、自らスルタン親衛隊の先頭に立ってアレッポを出発、ダービク草原に布陣した。マムルーク軍の右翼の先頭はダマスカスの太守サイ・ベイであり、左翼の先頭は、アレッポ太守ハーイル・ベイであった。中央の本軍は総司令スウードン・アルアジャミーの指揮下にあった。オスマン帝国側は、戦いに先立ってガウリーと不仲であったハーイル・ベイに対して寝返るように工作を行い、すでに内応の約束を取り付けた状態で戦いに臨んだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルジュ・ダービクの戦い」の詳細全文を読む
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