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マルセロ・マットス : ウィキペディア日本語版
マルセロ・マットス

マルセロ・マットス (Marcelo Mattos) こと、マルセロ・メンドーサ・デ・マットス(Marcelo Mendoca de Mattos、1984年2月10日 - )は、ブラジルサンパウロ州インディアポラ出身のプロサッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー (MF) 。
== 経歴 ==

=== クラブ ===
ユーティリティー性のある守備的ミッドフィールダー。相手選手に対する激しいマークと、前線への好配球で攻守に貢献する〔Ainda lesionado, Marcelo Mattos faz falta ao Bota LANCENET (2012年6月25日)〕。
2001年ミラソウFCの下部組織からトップチームへ昇格。同年、FIFA U-17世界選手権に臨むU-17ブラジル代表に選出され、3試合に出場した。
2002年1月から2月にかけて参加したタッサ・サンパウロU-20では、飛び級選出ながら背番号10を背負い、堂々たるプレーで中盤に君臨。予てよりマルセロに興味を持っていたJ1(Jリーグ1部)FC東京の強化部からこの時の活躍が評価され〔 東京中日スポーツ (2002年2月23日)〕、2月末になって同クラブへ加入〔 FC東京 (2002年2月22日)〕。登録名は「マルセロ」。しかし、FC東京の3つの外国籍選手出場枠は、DFジャーン・MFケリー・FWアマラオがレギュラーとしてこれを確保しており、チームとしても当時まだ18歳になったばかりのマルセロをじっくりと育てる意向であったため、彼らの欠場時にメンバー入りする「第4の外国籍選手」の座を韓国籍MF呉章銀〔当時は「アジア枠(AFC加盟国の国籍を持つ選手に対しての外国籍枠。2009年度より導入)」が存在しなかった。〕と争った。4月13日のJ1第6節ガンバ大阪戦で、負傷中のケリーに代わってトップ下で初出場〔Jリーグ ディビジョン1 ファーストステージ第6節 FC東京 (2002年4月13日)〕、豊富な運動量と両チーム最多のシュートを放つ積極性を見せるも、次節からケリーが復帰したこともあって〔選手出場記録 FC東京 2002Jリーグ ディビジョン1 1stステージ Jリーグ (2002年8月17日)〕、以後リーグ戦での出場機会は得られず、同年9月にJ2・大分トリニータに期限付き移籍〔 FC東京 (2002年9月3日)〕。大分でもDFサンドロ・MFファビーニョ・FWアンドラジーニャの3名に次ぐ4人目の外国籍選手という立場だったことから出場は1試合のみとなり〔選手出場記録 大分トリニータ 2002 Jリーグ ディビジョン2 Jリーグ (2002年11月24日)〕、FC東京との契約も更新されず〔 FC東京 (2002年12月3日)〕、同年限りでブラジルに帰国した。
その後、新興クラブ〔1998年に3部、1999年に2部、2000年に1部昇格。〕のADサンカエターノで、2004年にはリベルタドーレス杯ベスト8進出や、サンパウロ州選手権優勝に貢献する(決勝ラウンドの2戦ではフル出場している)など頭角を現し、2005年に同州の強豪・SCコリンチャンス・パウリスタに引き抜かれた。同年の全国選手権で優勝し、プレミオ・クラッキ・ド・ブラジレイロン(ボランチ部門1位)及びボーラ・ジ・プラッタ(ベストイレブン)に選出された。2006年にはボランチ部門3位選出。
2007年7月に、ギリシャパナシナイコスFCに4年契約、移籍金推定320万ユーロ(5億4000万円)で移籍〔パナシナイコスがマルセロを獲得 UEFA (2007年7月18日)〕。
2009年9月より古巣コリンチャンスにレンタル移籍。しかし2010年に入ると、サイドバックに配されるようになるなど〔Sem chance com Mano Menezes, Marcelo Mattos se prepara para sair globoesporte (2010年6月13日)〕次第に冷遇されるようになり〔Botafogo contrata Marcelo Mattos e Elizeu プラカール (2010年7月21日)〕、1年限りで退団。
2010年7月より、ボタフォゴFRにレンタル移籍〔Ανακοίνωση της ΠΑΕ ΠΑΝΑΘΗΝΑΪΚΟΣ パナシナイコスFC (2010年7月23日)〕。シーズン途中の加入ながら早々に適応し〔Botafogo prepara investida para ter Marcelo Mattos em definitivo プラカール (2011年2月11日)〕、レギュラーを確保した。マルセロ加入以来チームは好成績を挙げた〔Invicto no Botafogo, Marcelo Mattos não se considera amuleto SuperEsportes (2010年10月27日)〕ことから、2011年にはボタフォゴはマルセロを完全移籍で獲得することを決め〔Diretoria deixa renovação de Marcelo Mattos por conta do empresário e do atleta SuperEsportes (2011年3月29日)〕、レンタル移籍期間が満了した同年7月より完全移籍に移行。2012年は負傷により〔Recomeço Feliz pelo retorno após 5 meses, Marcelo Mattos celebra vitória no clássico ボタフォゴFR (2012年10月19日)〕長期欠場を強いられたが〔Crescimento contínuo ボタフォゴFR (2013年1月25日)〕、2013年リオデジャネイロ州選手権で本格復帰。同年4月、オラリアAC戦でボタフォゴでの100試合出場を達成し、クラブから表彰された〔Justa homenagem Botafogo homenageia Marcelo Mattos pelos seus 100 jogos no clube ボタフォゴFR (2013年4月5日)〕〔Marcelo Mattos recebe homenagem do Botafogo pelos 100 jogos no clube LANCENET (2013年4月5日)〕。
2015年7月、ECヴィトーリアへ移籍〔VOLANTE NA TOCA ECヴィトーリア (2015年7月8日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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