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マルタ包囲戦 (1565年)[まるたほういせん]
マルタ包囲戦またはマルタ大包囲戦 (、、、)は、1565年にオスマン帝国がマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)が治める地中海のマルタ島へ行った包囲戦である。最終的にマルタ騎士団が包囲軍の撃退に成功した。 ==概要== マルタ包囲戦は歴史上最も情け容赦ない、血塗られた戦いの一つであり、16世紀ヨーロッパで起きた最も有名な出来事の一つとなった。「マルタ包囲戦ほど広く知られるものはない」とさえ評したヴォルテールは少し大げさかもしれないが、マルタ包囲戦がプレヴェザの海戦により地中海の覇権を手にしたオスマン帝国海軍の不敗神話を挫き、ジェルバの海戦で大敗したスペインに西地中海での新たな局面をもたらした事は確かである〔Fernand Braudel, ''The Mediterranean and the Mediterranean World in the Age of Philip II'', vol. II (University of California Press: Berkeley, 1995)〕。 この包囲戦の前後、オスマン帝国による西地中海への侵攻は最高に達しつつあった。1551年、オスマン帝国の支援を受けた海賊〔オスマン側の海賊(コルセア, corsair)とはオスマン帝国の私掠船から構成された集団であり、以下で登場するトゥルグト・レイス率いるバルバリア海賊もそれに含まれる。同様にマルタ騎士団もイスラム世界の船をターゲットとした海賊を統率していた。ゆえにマルタ包囲戦は、同時にキリスト、イスラム両陣営に属する海賊たちの戦いでもある。〕による攻撃でマルタ島は一度戦場になっている。しかし1565年、オスマン帝国をこの包囲戦で撃退したのに続き、レパントの海戦での勝利により、スペインは西地中海の制海権をオスマン帝国からじりじりと奪い返していく。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルタ包囲戦 (1565年)」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Great Siege of Malta 」があります。
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