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マルプラケの戦い(Battle of Malplaquet)は、スペイン継承戦争における戦闘の1つで、1709年9月11日にグレートブリテン王国(イギリス)・オーストリア(神聖ローマ帝国)・ネーデルラント連邦共和国(オランダ)同盟軍とフランス軍が現在のフランス・ノール=パ・ド・カレー地域圏・ノール県で衝突した。 == 戦闘前 == === 和睦交渉 === 1708年のアウデナールデの戦い、続くリール包囲戦でフランス軍は南ネーデルラント及びフランス北部の重要拠点を失った。加えて1709年になると厳寒がヨーロッパに吹き荒れ、フランスを含む諸国は飢饉に苦しんだ。この状況で窮地に追い込まれたフランス王ルイ14世は和睦を考えるようになり、まずはオランダと単独交渉、続いて同盟国全てとの交渉に移った。フランスはトルシー侯、オランダはアントン・ヘインシウス、イギリスはチャールズ・タウンゼンドとマールバラ公ジョン・チャーチル、オーストリアはプリンツ・オイゲンが選ばれ、5月20日にハーグで会談した。 27日、同盟国がフランスに突きつけた和睦の条件は以下の通りである。 # スペイン王位はルイ14世の孫フェリペ5世からカール大公に移す。 # ネーデルラントの都市リール、メーネン、モブージュをオランダに割譲する。 # 同じくネーデルラントのトゥルネー、イーペル、モンス、ナミュール、シャルルロワ、ルクセンブルク、ダンケルクからフランス軍を引き上げさせる。ドイツのライン川方面のストラスブール、ケールからも撤退させる。 # ポルトガル・サヴォイアにも国境面で譲歩する。 ところが、条件がヴェルサイユ宮殿に届くと非難が巻き起こり、フェリペ5世の退位が問題視された。ネーデルラント戦線は劣勢だったがスペインではフランス側のフェリペ5世が有利で、同盟が支援するカール大公はカタロニアしか保てない状況であった。しかもフェリペ5世本人は退位を拒み、スペイン国民もフェリペ5世支持に傾いていて、フランス側が圧倒的不利ではなく、フェリペ5世に退位の意志がない現状では和睦の可能性は無かった。かくしてルイ14世は和睦を拒絶、戦争は再開された〔友清、P249 - P252、マッケイ、P152 - P156。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルプラケの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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