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マルワーン1世( , 621年 - 685年)は、ウマイヤ朝の第4代カリフ(在位:684年 - 685年)。子にアブドゥルマリク、アブドルアズィーズ、ムハンマドらがいる。 マルワーンは初代のムアーウィヤのはとこにあたり、父はハカム、ムアーウィヤの父アブー・スフヤーンの叔父アブー・アル=アースの孫である。そのためムアーウィヤの系統とは別系の人物である。また第3代正統カリフ・ウスマーンとは従兄弟同士であり(ウスマーンの父アッファーンは、マルワーンの祖父アブー・アル=アースの息子のひとり)、ムアーウィヤ2世が死去した時、ウマイヤ家の長老であった。第3代のムアーウィヤ2世まではムアーウィヤ系統であるが、以後のカリフはこのマルワーン1世系統から受け継がれた。 680年にカルバラーでアリー家のフサインが戦死した後、アーイシャの甥イブン・アッズバイルが隠遁していたメッカで活動を開始してカリフの称号であるアミール・アル=ムウミニーンを名乗り、ウマイヤ朝に公然と叛乱を起こした(第二次内乱)。しかも、ヒジャーズやイラク、エジプトの信徒たちがこれを信任するという事態となった。しかし、マルワーン1世は有効な手段を講じる前にわずか在位1年9ヶ月で死去した。マルワーン1世にはカリフとしての力量は無かったために威令が及ばず、王朝の衰退を招いたという。 685年に65歳で死去し、跡を子のアブドゥルマリクが継いだ。この息子の代にウマイヤ朝は全盛期を迎えた。 == 参考文献 == * 「イブン・ズバイル」「第2次内乱」『岩波イスラーム辞典』岩波書店、2002年 *アミール・アリ『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルワーン1世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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