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マル・デ・アホ () は、アルゼンチンの大西洋岸地域、ブエノスアイレス州ラコスタ・パルティードに属するシウダー。観光地、海水浴地。「ニベの都」としても知られる。 創立は1935年12月21日。ブエノスアイレス市から360kmの距離にあり、観光客および消費者向けの飲食店、商業施設に加え、保養目的の観光客向けの広大で閑静な海岸、貴重なホテル群、カジノ、ビンゴ遊戯場、劇場、映画館、サーキット、砂丘を擁する。 目抜き通りには、帆船モクテスナ号でペルーのバイア・デ・パラカス上陸を果たしたホセ・デ・サン=マルティン将軍を顕彰した『解放者と海』という像がある。この像は高さ10メートル、地元の芸術家リカルド・D・エミリオによって製作されたものである。 緑地、住宅地、ビル街との間の調和がとれた特徴的な景観の街並みである。沖合には以前座礁した船舶が残されており、周辺の観光の呼び物となっている。 == 沿革 == ラコスタ・パルティード内の他の ロカリダーと同様、ブエノスアイレス州知事ドン・フアン・ミゲル・デ・ロサスによって1839年に創設されたアホ・パルティードの一部とされた。その後、1891年、 パルティードの名称が、当時アルゼンチンで最も重要なものの一つになっていたアホ・パルティードの中心集落と港の名を取って、ヘネラル・ラバジェ・パルティードと改称された。 1934年、フェレーロとスプリンゴロ(後のホテル・ラ・マルガリータのオーナー)がラモス・メヒア家を説き伏せて、その所有地をリゾート開発のために分割させた。こうして、マル・デ・アホ地所海水浴場会社が技術者ペレスとマルティネス・デ・オスをプランナーとして発足した。 翌年には、アルゼンチン自動車クラブ(:es:Automóvil Club Argentino)が設置され、会員向けにキャンプ場や行楽施設を提供し始め、今日に至っている。このことは、この新しい海水浴地を大いに活気づけることにつながった。 1978年7月1日、都市基礎自治体法に基づき、新しい ムニシピオが創設されたが、中でも、ラコスタ・ムニシピオは、サン・クレメンテからコスタ・エスメラルダまでの海水浴地を包括することになった。 共に1935年に創設されたサン・クレメンテとマル・デ・アホがラコスタ・ムニシピオにおいて観光開発の先進地であったことは特筆すべきことである。〔マル・デ・アホの歴史(スペイン語) 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マル・デ・アホ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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