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マンオブパーサーは日本の競走馬である。馬名の由来は「船や飛行機の客室乗務員の長」。 主な勝ち鞍にダービーグランプリがある。 == 戦績 == 栗東の大久保龍志厩舎に入厩。 2005年12月4日、阪神ダート1400mの新馬戦でデビューし、2着馬に3と1/2馬身差をつけて勝利。明けて2006年、3歳500万下にも勝利しデビューから2連勝を挙げる。 2月19日、東京のヒヤシンスステークスに出走。単勝オッズ1.1倍の圧倒的1番人気はクロフネ産駒の良血馬フラムドパシオン。マンオブパーサーは12.8倍で2番人気であった。道中は好位追走、しかし直線に入るとフラムドパシオンに突き放され、3と1/2馬身差の2着に敗れた。 その後、2戦連続の3着に敗れるが、8月26日に札幌の大雪ハンデキャップに出走。道中は好位に付け、直線で抜け出し、後に重賞で活躍するメイショウトウコンを下して1着となった。 その後盛岡の統一GI、ダービーグランプリに登録。当初は賞金不足のためJRA枠の補欠となり出走が危ぶまれたが、フサイチリシャールとソングオブウインドが回避したため繰り上がりで出走が決まった。レースではスタートから2番手追走。4コーナーで逃げたバンブーエールに並び、クビ差競り勝って勝利。自身は重賞初挑戦で初勝利であったと同時に、鞍上の木幡初広は中央、地方通じてGI初勝利となった。 11月3日、川崎競馬場で行われた統一GI、JBCクラシックに出走。道中は2番手から3番手を追走。2周目3コーナーあたりから追い出して伸びを見せるものの、直線で古馬勢にかわされ、タイムパラドックスの5着に終わった。その後、師走ステークスでは8着に敗れた。 2007年はアンタレスステークスから始動。しかし、59キロという厳しい斤量を背負い、7着に敗れた。その後、アルデバランステークスでは6着に、霜月ステークスでは11着、ギャラクシーステークスでは8着に敗れた。 2008年は門松ステークスに出走するが13着に敗れた。その後、初の芝のレースとなる大阪城ステークスに出走するが14着だった。 3月18日付でJRA競走馬登録を抹消され、その後船橋の川島正行厩舎に転厩となった。転厩初戦となった2009年1月4日の大師オープンは惜しくも2着だった。続く2月18日の金盃は3着だった。続く3月26日のマイルグランプリでは1番人気に支持されたが、2番手からレースを進めたものの3コーナーで後退し6着に終わった。続く5月20日の川崎マイラーズは惜しくも2着だった。続く6月24日の帝王賞では見せ場がなく11着と大敗した。続くサンタアニタトロフィーとスパーキングサマーカップでは共に3着だった。その後は2戦続けて着外であった。 2010年は1月28日の多摩川オープンから始動し、2006年のダービーグランプリ以来3年4ヶ月ぶりの勝利。さらに2月17日の報知グランプリカップにも勝ち、3年5ヶ月ぶりの重賞勝利となった。その後、3月17日のマイルグランプリでは先団追走も伸び切れず5着に敗れた。 2010年6月、佐賀競馬の九日俊光厩舎へと移籍。馬主名義も吉田照哉から平田一雄へ変更となった。6月20日の多良岳特別、7月18日の吉野ヶ里記念では共に1番人気に応え勝利した。8月18日のサマーチャンピオンではセレスハントの3着だった。その後の開聞岳特別、久住山特別、九州大賞典に出走して3連勝を収めた。12月26日の中島記念ではメガチューズデーの3着だった。 2011年は1月9日の九州オールカマーから始動したがヘイアンレジェンドのハナ差の2着。2月11日の佐賀記念では8着に敗れた。3月13日のはがくれ大賞典では1番人気に応え勝利。続くオグリキャップ記念と阿蘇山特別では共に3着だった。その後、多良岳特別は1着、吉野ヶ里記念は2着、雷山特別は1着、天山特別は2着となった。12月5日のオッズパークグランプリではラブミーチャンの4着に敗れた。これがラストランとなり、2012年1月6日付で登録抹消となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マンオブパーサー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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