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『月刊マンガ・マン』(げっかんマンガ・マン、)は、かつて昭和の初期に存在していた日本の漫画雑誌である。編集発行は久保陽、発行元東京漫画新聞社、月刊誌。単に『マンガマン』とも表記される〔マンガマン 、国立国会図書館、2012年10月10日閲覧。〕〔尾崎、p.177-179.〕。岡本一平、麻生豊、宮尾しげを、長崎抜天、堤寒三らが寄稿したことで知られる〔原田、p.170.〕。 == 略歴・概要 == === 2年弱の活動期 === 1929年(昭和4年)8月1日、創刊する〔。同誌の主宰は久保陽、のちに漫画家となる吉田貫三郎が、編集助手を務めていた〔。 当時の知名度は高くなかったものの、『アサヒグラフ』(朝日新聞社)、『新青年』(博文館ほか)とともにアメリカ合衆国のナンセンス漫画を掲載していた。日本人の漫画家の作品にも、その影響が見られる。漫画家志望の青年たちが、作品を投稿していた雑誌である。内容に関しては、一枚物・連載のナンセンス漫画の他に、ナンセンス小説が掲載されていた。 1931年(昭和6年)6月6日、同日付発行の通巻第23号をもって廃刊する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「月刊マンガ・マン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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